「こんな非常識な教師は、前代未聞ですよ!保護者の皆さまから英語主任である私に猛烈な抗議があったのです。何らか手を打たないと大問題になりますよ、これは。学園としての規律とけじめの問題ではないでしょうか?」
その日の放課後、緊急で職員会議が招集された。英語主任の北村が鼻息荒く里穂を糾弾した。
北村の言い分はこうだ。授業参観での里穂の行動に関して、服装だけでなく、まともな授業が成立していなかったことに関して、途中退出した保護者二名が職員室に抗議にやってきた。英語主任の自分が、激しいクレーム対応に追われているのだという。
「もう、二人ともカンカンでしたわ。こんな生徒に息子を預けて、とても受験が乗り越えられるとは思えない、担任を変えないのであれば転校も検討する、とまでおっしゃっているのです」
「しかし、そうはいいましても、何をそんなに憤慨されているのかが、いまひとつ分からないですなぁ…特段、今のお洋服に問題は無い様に思えますが」
校長は北村の剣幕に戸惑いの色を隠せない。それもそのはず、授業の後に、里穂は普通のパンツスーツ姿に着替えていた。まくしたてる北村に対して、何ら反論もせず、ただ俯いて悔しそうな表情をしているばかりだ。
「いいですわ。華谷先生がどれほど破廉恥な姿をしていたか、ご覧にいれますから」
「えっ、そんな…」
北村は、保護者が撮影したものだ、といって里穂の授業中の様子を隠し撮りした写真を、あろうことか職員会議の場で配り始めた。里穂は、恥ずかしさのあまり制止しようとしたが、北村は乱暴にそれを振り払った。
「どうです、こんな格好で教室を歩き回られて、生徒達が授業に集中できると思いますか?それも、参観日を狙ってやるのですから、ずいぶん変わった趣味をお持ちだと思いませんか?」
配られた写真を手にした他の教師たちは、唖然とした様子で、言葉を失っている。
「授業に集中できていなかったのは、生徒達だけではなかったそうですわ。これ、私が言うんじゃないですわよ。クレームに来た保護者の方がおっしゃるのですけれどねぇ。この華谷先生ご自身も、授業そっちのけで、延々と教室中を歩きまわっているばかりだそうなんです。その様子が、身体を見せびらかすように、腰を揺すりながら、まるで、生徒や保護者を挑発するような調子だったそうですの。ああ、口にするのも恥ずかしいですわ!」
北村から非難の嵐を浴びせかけられても、里穂は反論一つできず、目には悔し涙が滲んでいた。変態的なファッションに身を包んだ手元の写真と相俟って、里穂の様子は、周りの男性教員の劣情を誘わずにはいられなかった。
理事長である権田も、今日の職員会議には出席していた。
(異例のことであるが、誰も止めることのできる者などいなかった)
「どうなのかね、里穂先生?そもそもどうしてちゃんとしたスーツがあるのに、こんな、過激な衣装にわざわざ着替える必要があるんです?」
なんという嫌な男か。自ら強いておきながら、他の教師の面前で、意地悪く問い詰めてくる。恨めし気に権田を睨みかえす里穂だったが、本当のことを口にするわけにはいかない。苦し紛れに、
「あの、私、どうかしていたのです、もうこんなことはしませんから…」
と言うのがやっとだ。わざとらしくため息をつきながら、権田は言う。
「ふむ、理由もなく、自覚もなく急にこんな格好をするなんて、この学園の教師としては、かなり難ありですなぁ。経営者としては、そんな趣味のある教師がいるとは、見過ごせないリスクといえますよ」
「ぅぅぅ…」
権田と北村に嵌められ、教師たちの前で露出症の変態に仕立て上げられても、満足に反論することすらできない。他の教師たちも、好奇の目線で事態の推移を見守っているのみだ。
「進学校である我が校で、生徒の勉学への集中を妨げるような教師がいては、迷惑です。私、華谷先生にはしばらく担任や英語の授業からは一切、外れてもらった方がよろしいかと思いますが、いかがですか、校長先生?」
「し、しかし……そ、それは、ずいぶん厳しい処分ですよ……」
校長の小寺はまごついていた。事態の展開の速さに戸惑いを隠せない。
「いいや、北村先生の言うことも一理ありますぞ。おしゃべり好きな高校生たちのことだ、この一件はすぐに全校にひろまりましょう。このまま生徒達に浮ついた空気が流れてしまっては、授業自体が成立しなくなるのではないですか?」
「し、しかし、だからといっていきなり授業から外すというのはあまりにも…」
「私、北村が先生の授業も代わりに受け持ちますから、心配いりませんわ。華谷先生には、裏方に回っていただいて、私の事務仕事などを手伝ってもらいます。ふふふ、目立ちたがり屋の先生にはさぞかし退屈かもしれませんけれども」
北村は権田と口裏を合わせている。校長の制止など、端から聞く耳を持っていない。
「私の聞いているところによると、この華谷先生は近頃水泳部の活動にも力を入れているそうじゃないですか、ねえ、森田先生?」
「…はい、非常に積極的に取り組んでいただいていますよ。生徒達にも大人気ですしね」
端の方の席に座った、松葉づえの森田は、顔色を変えずにいった。
「なるほど、そうしたら肌を見せびらかすのは水泳部の活動だけにとどめておいたらいいですね、ちょうどいいじゃないですか」
北村が侮蔑の色を隠しもせずに言い捨てる。乾いた笑いが、数人の職員の間から漏れ聞こえた。もう耐えられない、と里穂は思わず小さく叫ぶ。
「ひどい!そ、そんな言い方、あんまりで…」
里穂の抗議を遮って、権田が話を強引にまとめてしまった。
「よし、決まりですな。華谷先生には、北村先生の補助と水泳部の顧問業、それに専念してもらいましょうや。校長、異論ありませんな?」
「…ま、まぁ、それが皆さんの意見なのであれば…」
「華谷先生、なにも私は、あなたを頸にするというわけじゃない。生徒達の間の混乱が収まるまでの間の処置さ。自分の犯した過ちを、少し頭を冷やして反省なさい」
その日の夜、里穂は夜十一時を過ぎてもまだ職員室で仕事をしていた。北村から早速山のように事務仕事を押し付けられていたのだ。北村のクラスの小テストの採点や、明日の授業で使うレジュメの作成など、ほとんど何の引継ぎもなく押し付けられたので、勝手が分からず、作業は遅々として進まないのだ。
(ああ、どうしてこんな目に合わなくてはいけないの。わたしが、何をしたというのよ…)
深夜の職員室で、一人ぼっちでデスクに向かっていると、不意に自分の惨めな境遇に涙が
込み上げてくる。
「華谷先生、まだいらしたんですか?大丈夫、ですか?」
後ろから聞こえてきた、優しい声の主は、熱血漢の物理教師、南野であった。
「無理しないで、明日にしたらどうですか?」
「ありがとうございます。でも…朝までに仕上げておかないと、北村先生に、叱られてしまいますから」
「そうですか…。あの、華谷先生、今日のこと、ほんとは何か理由があるんじゃないですか?先生が、何の理由もなくあんなことをするはずがないと思って。もし私にできることがあったら、何でも言ってください。僕は…華谷先生の味方ですから、何があっても」
「南野先生…」
雄星達の毒牙にかかって以来、性暴力と脅迫の毎日だったのだ。他人から優しい言葉をかけられるのは、本当に久しぶりだ。里穂は、感情の昂ぶりを、抑えることができなくなった。熱い涙が、頬を伝う。そして、南野の胸元に吸い寄せられるように、気付けば顔を埋めていた。キラキラとした雫が、南野のシャツを濡らす。南野の両腕は、震える里穂の背中を、そっと包むように、抱擁を返した。
「言えません、言えないんです。でも、私、南野先生にそう言ってもらえるだけで、十分です。ああ、ごめんなさい、でも…もう少しだけ、こうしていていいですか?」
二人は、深夜の職員室で、長い抱擁を交わした。やがて、南野が優しく里穂の身体を引き離すと、笑顔を作りながら言った。
「もう終電も近いですし、残りの仕事、仕上げちゃいましょうよ。英語は、あまり得意じゃないけど、簡単な選択肢の問題の採点くらい、できますよ。さ、貸してください」
南野の体温を名残惜しみながらも、その優しい提案に、里穂は生きる勇気が湧いてくるように感じ、力強く頷いた。