翌日。夕方近くに、ちづるは再び事務所に戻った。
 有田から取り返したUSBメモリを、昨夜自宅のPCに差し込んで中身を確認したちづるは、唖然とした。それは、文字通り空っぽだった。ファイル転送の過程でデータが壊れてしまったのか、あるいはそもそも全てがハッタリで、ちづるをからかうための演出に過ぎなかったのか?
どちらの可能性もあるが、事務所に残された有田のPCや、サーバーの中のデータの中に、何か不利な証拠になるものが残っていないか、確証を得る必要があった。
秘書による裏切りと脅迫、そして破廉恥行為の現場に戻るのは躊躇われたが、逃げているわけにもいかない。

「結局、何もなかったじゃない」
 窓から差し込む夕日もすっかり落ちた事務所で、ちづるは一人つぶやいた。壮平の立場を危うくするような情報は、何一つ見つからなかった。有田の行動には不気味さを感じるものの、安堵のため息が出た。
だが、電子的にはなかったとしても、書類束の中に何か不都合なものがあるかもしれない。こうなったら、不安要素は徹底的に洗いださなければ。
立ち上がって、書類棚の方に向かった。すると、背後で入口の扉が開く音が聞こえた。
そこに、昨夜追放したはずの有田が立っていた。
「何をしにきたの!」
 ちづるの叫び声に、有田は耳を塞いだ。
「そんなにキンキン叫ばないでくださいよ。ご近所の目もありますよ?」
「……もう、二度と現れないでと、言ったはずよ」
 低く押し殺した声で、ちづるは有田を威嚇した。
「ふふ、今日はねぇ、奥様と先生の身に迫っている一大事について、お知らせにあがったのですよ」
「あなたの言うような、やましい情報は、何もなかったわ。デタラメはもう通用しませんから」
「その話じゃあ、ねえんだよ」
 聞き覚えのあるだみ声の主が、有田の肩を押しのけて、背後から姿を現した。
「どうしてあなたが……」

 その予期せぬ来訪者は、局時代のちづるの上司で、ディレクター職を務めていた、五条という男だった。
昔から素行と女癖が悪く、ちづるも何度か言い寄られたが、気丈な性格のちづるはそれをはねのけていた。その後、ほどなくして若いアナウンサーなど、複数の女性からセクハラ被害の告発があり、諭旨退職に追い込まれた男だ。退職後は、動画配信サイトでニュースのチャンネルを立ち上げた、という話をどこかで聞いたことがある。とはいえ、ちづるには番組を見かけたことも皆無だった、業界内では終わった存在だった。
でっぷりとビール腹を突き出したその男は、ドカドカと事務所に上がり込んできた。
「あの、五条さん、今日は、なんの御用でしょうか?」
「取材内容の裏取りさ。あんたらお騒がせ夫婦と、この事務所のドロドロした内幕に切り込んだ、スクープ報道の。あとで誤報だなんだと難癖つけられたら面倒だしな」
「なっ……」
 勧められてもないのに、五条は我が物顔で応接ソファに腰かけ、対面にちづるを座らせた。
有田は、ソファの横手に直立したまま動かなかった。一見、神妙な顔つきをしているようだが、どこか笑いをこらえているようにも見えて、不気味だ。
五条が肩掛けのバッグからタブレット端末を取り出すと、ソファの間のティーテーブルに置いた。
「じゃ、早速、確認してもらおうかな」
 五条の毛深い指が画面をタップすると、動画が再生された。
 安っぽいスタジオセット。仮面をつけた背広姿の男がひじ掛け椅子に腰かけている。反対側、画面左手の椅子には、ゴリラのぬいぐるみが置かれている。なんても奇怪な構図だ。
「あの、これは、一体何でしょう……」
 不審そうに尋ねるちづるを五条が制した。
録音機材も碌に金をかけていないようで、音声は極めて不明瞭だったが、よく耳を澄ましてきくと、どうやら、ゴリラのぬいぐるみが背広の男にインタビューをしている、という演出のようだ。また、仮面の背広男が有田で、ゴリラの声は五条が吹き込んでいるものだということも、すぐに分かった。

 “へえ、それで、その高峰議員のご夫人が、あなたを誘惑したと、そういうことなんですね?”
 “はい。事務所を辞めずに、留まってくれたら、その、ご褒美をあげるといって、いきなり踊りながら、脱ぎ始めて……”

 ちづるは怒声とともに立ち上がった。
「デタラメいわないで!誰がそんなことを」
ソファに腰かけたままの五条が、にやりと笑いながら、ちづるを仰ぎ見た。
「ふふ、誰がって、ちづるちゃんよぉ、お前しかいないだろ?」
 五条が指さしたタブレットの画面が視界に入ると、ちづるは目を見開いて、固まってしまった。そこには、尻を突き出し、カイリーミノーグのヒットナンバーに合わせて腰を振り、下着を脱ぎさっていく女の下半身が、大写しになっていた。
「あっ、あああっ……」
 ちづるは声にならない声を漏らした。
「このクネクネダンス、見事でしたよ。映像で見るのも悪くないけど、実物で、間近で堪能しましたからね、僕は」
 背後の有田からの挑発をうけて、ちづるは自分を奮い立たせるようにこの裏切り者をキッと睨みつけ、反撃に転じた。
「盗撮なんて、卑怯な手を使って、最低ね。でも、顔も映っていないし、こんなもので脅迫しようだなんて…」
「顔?ああ、表情も傑作だったぜ」
「そ、そんな……」
 五条がディスプレイを軽く二度タップすると、画面が八分割された。そこには、ストリップを演じるちづるを、八つの異なるアングルから切り取った映像が流れていた。その中の一つは、ちづるの顔面を真正面から、さらに別の二つは、その横顔をはっきりととらえていた。
 立ち眩みがして、よろめいた。有田に抱きかかえられ、ソファに座らされた。左右を脅迫者二人にはさまれた。顔を背けようとしたが、無理やりに顎を掴まれ、タブレットの画面を直視させられた。
映像は、強制された『赤ちゃんプレイ』へと移行していた。乳房や局部は有田の頭や身体で隠れていたが、そのかわり人妻の悩まし気な表情はしっかりと画面に収まっている。映像に、有田の証言が被さる。

“なんか、裸になって、すっかり気分が盛り上がってしまったのでしょうか。どこかこう、酔ったような、甘ったるい口調で、胸を吸ってくれと頼まれました。ちょっと舌が触れただけで、身体をビクンビクンさせて、もっと、もっとって急かしてくるんですよ。ほら、目なんかトローンとさせて、完全に、なんというか、メスを感じましたね”

 ちづるは、頭を抱えて、嗚咽を漏らした。カメラがとらえた自分の一瞬の表情の淫靡さは、有田の証言に、真実味を与えてしまっている。うなだれたちづるを満足げに見下ろしながら、五条が勝ち誇る。
「国民をだまして、卑怯な手で議員になったあのキザ野郎。頭にきたから、何もかも暴いてやろうと思って、取材攻勢を掛けたんだ。だが、この小僧とは妙に馬があってな。ちづる、お前がどうやら欲求不満で、すぐ落とせそうだって話を聞いてよ。ちょっくらカマかけてやったら、大成功よ。くくくっ」
 動悸を抑えながら、ちづるは言葉を振り絞った。
「……何が、のぞみなんですか」
「望み?いや、何もお前を強請ったりする気はねぇよ。言ったろ、これは番組内容の事前確認だって」
「番組って……これを、あなたの番組で流すというのですか?正気ですか」
 
 昨今は、性表現を含むコンテンツは厳しく取り締まられている。一般的な動画サイトにばらまけば、アカウントごと停止させられかねない。自殺行為だろう。だが、五条は得意げに続けた。
「報道一筋の俺だったんだがよ、少し、サイドビジネスで、広く有名人の暴露系チャンネルでも始めてやろうと思っていたところだったんだ。規制の緩いドバイのサービスを使ってよ。このスクープで、俺の新チャンネルは人気爆発間違いなしよ」
「やめてっ!お願いだから、こんなもの、公開しないでっ!」
 ちづるは取り乱した。当然だ。こんなものが出回れば、夫婦の関係は終わる。ちょうど、暴露系動画サイトの存在が世間を賑わせている昨今、五条の言葉にはリアリティがあった。
たとえこれから、運よく壮平の無実を証明できたとして、こんな動画が出れば、二度と人前に立つことができないくらいの心理的ダメージを与えることになるだろう。それに、娘のいづみはどうなる?学校や、これから社会に出て、ずっと後ろ指を刺されることになる。色情狂女の娘だ、と。
「ほんとうに、お願いします……こんなものが出たら、私たちは、あぁ!」
 ちづるの眼には涙が浮かんでいた。五条は、芝居がかったため息と腕組みで言った。
「やれやれ。女の涙には弱いんだよ、俺はよぉ。とはいえ、こっちも生活がかかってんだよ。このネタがなきゃ、ジリ貧だ。ちづるちゃんよぉ、お前、穴埋めしてくれんのぉ?」
 高峰家の家計も、非常に切迫している。献金を拠出してくれた支持者からは返金を求められている。たびたび街宣車が威嚇するせいで、事務所の家主からは立ち退きや家賃の値上げを求められてもいる。そしてなにより、このまま起訴された場合に必要になる壮平の保釈金……五条に対して経済的な補償を与えることは不可能だ。
「今は、お金は、無理です……。主人が、戻ってきたら、どうにか……」
「はぁ?今は無理だぁ?スクープは鮮度が命なんだよ!逮捕されてすぐにこういうのが出てくるから盛り上がんだろうがよ!世間がもう忘れたころに出したって、なんのニュース価値もねぇんだよ!そしたらお前はしらんぷりするんだろうが!」
 五条にすごまれて、ちづるは震えた。そこに口を挟んだのが、有田だった。
「五条さん。ここは、どうでしょう、プランB?」
「ふん。まあ、俺は気が進まないがな、まあいい。おい有田、お前の口から説明してやれや」
 有田は、ニヤニヤしながらタブレットを操作した。
「昨日の、『赤ちゃん』プレイの、そのあとの展開なんですけどねぇ」
 その言葉に、ちづるははっとした。そう、昨夜の仕打ちは、ただ乳房を弄ばれるだけでは、終わらなかったのだ……

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