口の周りや、髪や、着ているスーツのスカートのそこかしこに、白いものが付着したまま、床にへたりこんでいた。無理やり粘液を飲み下したせいで、ひどく咳込んでしまって、立ち上がることもままならない。うまく呼吸ができなくて、意識が、遠くなっていた。
ふと視線を上げるとそこに、添田さんが立っていた。考えられる限り、最低最悪の展開。
言葉を発することも出来ず、石像みたいに固まってしまった。
気が付くと、私は添田さんの運転する営業車に乗っていた。
給湯室から自席には戻らず、荷捌き用のエレベーター(途中階で止まらないような設定ができる)に乗って、地下の駐車場までやってきた。添田さんに手を引かれて。私の異変を、フロアの他の人たちの目に晒さないためだったと思う。添田さんが咄嗟の機転でそうしてくれたみたいだけど、放心状態だったせいか、よく思い出せない。
それから、添田さんのマンションでシャワーを浴びた。添田さんが、髪から、足の先まで、洗い流してくれた。そこまでしてようやく、私は自分の身に降りかかった災いをはっきりと自覚した。
大声で、泣いて、喚いている私を、裸の添田さんが痩せた身体で抱きしめてくれた。何も言わずに、ただ私と肌を重ねてくれた。
添田さんの胸の中で、
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
と繰り返した。
「何があったか、聞いてもいい?」
嗚咽で途切れ途切れになりながら、事情を全部話した。派遣契約の延長をダシに、身体を弄ばれたこと。それが、どんどんエスカレートしてきて、最後にはあんなことになってしまったこと。
添田さんは、しばらく言葉を失っていたけど、やがて、口を開いた。
「気づいてあげられなくて、ごめん。ほんとに、ごめんな……」
頭の上の方で聞こえる添田さんの声も、少し湿っているように感じた。私たちは、熱いシャワーの下で、いつまでも重なっていた。
やがて、ようやく話ができるくらいにまで落ち着いた。
私たちは、ベッドの端に並んで座った。長くて気まずい沈黙の後で、二人でこれからのことを話し合った。
「明日、摩耶は休んで。俺、人事に話にいくから」
添田さんは、目撃者として、このことを告発すると言った。
「でも……」
私は、決心がつかなかった。身体を触られたどころではなく、あんなことまでされたなんて、誰にも言いたくなかった。できることなら、一生、秘密にしておきたかった。
「何をされたか、具体的に話す気になったら、摩耶の口から、自分の言葉で言えばいいよ。でもとにかく、俺は人事にはセクハラがあったことだけは通報する。このままじゃ、絶対ダメだ。あいつを追放して、それから摩耶を正社員にしてもらうように要請する」
添田さんの言葉は嬉しかった。でも、同時に、複雑な気持ちにもなった。
私、会社のことなんて、もうどうでもいい
添田さんと一緒にいられたら、それだけで十分なんだけど……
もしも、あのとき、そう言って泣きついていたら?って、今でも時々、考えてしまう。