三人の「出資者」のうち、もっとも遅れて弥穂を予約したのは鴻上だった。弥穂がアプリを通じて予約の通知を受け取ったのは、零士を病院に見舞っている最中だった。
(そんな、面会中なのに……)
弥穂は筑摩夫妻との契約上、一日一回、一時間を限度に、零士の病床を訪れることを認められていた。面会希望時間は、アプリ上もきっちり一時間、予約不可という設定にしてもらっていた。だが鴻上は、時間帯が終わる直後に予約を入れてきたのだ。
「ごめんなさい、零士さん。私、筑摩さんのところで頼まれていた用事をすっかり忘れてしまっていて。今日は、早いけど、もう帰らないと……」
唐突に切り出し、慌てて帰り支度をする弥穂を、零士は呆気に取られて見つめていた。
呼び出し場所は、弥穂の自宅近くの「KGドラッグ」だった。ここからだと、運よく電車が来ればニ十分、悪ければ三十分以上かかる。とにかくすぐに出発しなければ遅刻になる。鴻上のことだ、遅刻などしようものなら、それを口実にどんな嫌がらせをしてくるか、分かったものではない。それに、遅刻すれば二時間もの間、無料で身体を差し出す羽目になる。愛おしい夫との限られた時間ではあったが、弥穂は面会を切り上げて駆け出した。
「こんなの、あんまりです。これでは、夫に会うこともできないじゃありませんか!」
駅のホームで電車を待つ間、我慢できず、弥穂は麗奈に電話して窮状を訴えた。
「ふん、知らないわよ、そんなこと。鴻上さんに直接文句言えば?」
冷たくあしらわれたが、なおも食い下がろうとした矢先に、電車がホームへと滑り込んできた。(ああ、もう、間に合わない……)既に予約時間に達してしまった。踏切点検か何かの影響で遅延する旨、駅員のアナウンスが告げていた。
「おうおう、奥さん、面接日に遅刻かいな。まあええわ、奥の事務所でゆっくり話を聞こ」
弥穂が十五分遅れて到着した時、「KGドラッグ」の店先には、鴻上が待ちくたびれた様子で立っていた。
「も、申し訳ありません」
「豊島君!奥の事務所、今から例の面接やから、立ち入り禁止やで」
鴻上は、品出しをするバイトの若者に声をかけると、弥穂の手を引いて店の奥へと連行した。どうやら、この青年には、弥穂はバイトの応募者ということにしているらしい。
「さ、触らないで、変に思われます」
入り口から事務所へ向かう過程で、鴻上はもう我慢しきれずに弥穂のニットワンピースに包まれた尻をムンズと掴みあげたのだ。
「大丈夫、大丈夫。あいつは、俺の趣味もよぉーく分かってるから、ははは!」
「ど、どういう意味ですか……」
鴻上は不気味な笑みを返すだけで、答えようとしない。そうこうしているうちに、弥穂は四畳ほどの狭い事務スペースへと連れ込まれた。
「さて、元々の予約が三時間やった訳やけわけど、奥さん遅刻してもうたから、今日は二時間追加で五時間ここで遊ぶことになるなぁ。奥さん、ワテと楽しみたくて、ワザと遅刻したんとちゃうん?」
「ち、違います。夫の見舞いに行っていたのです。あの、その時間の前後は、どうかご容赦いただけませんか?」
「はぁ?そんな条件聞いてないなぁ。そないにうるさい注文をつけられるんやったら半額くらいに値引きしてもらわな割に合わへんわぁ。ええの、それでも?半額の七十五万、返してんか?」
「……それは、ごめんなさい、出来ません。勝手を言って、申し訳ありませんでした」
「ふん、謝るくらいやったら最初から言わんかったらよろしい。さて、いきなりハメるのも節操ないやろ。ちょっとうちの店、体験勤務してみよか」
弥穂は、膝頭をガクガクと震わせながら、事務所から店舗スペースへ足を踏み入れた。制服として、破廉恥なナース服を纏わされている。
ドラッグストアといえば、社員は白衣、品出しやレジを扱うバイトはポロシャツにエプロンといったラフな恰好が多いが、KGドラッグは、バイトであっても店員にナースのような白衣を纏わせていた。しかもワンピーススカートタイプの白衣は膝丈より少し短いくらいのもので、薄ピンク色。ウィルス対策で自粛自粛の息苦しい生活の中にちょっとした潤いを求めて訪れる男性客が店の成長を支えた。
だが、弥穂が今纏っているのは、正規の制服とは似ても似つかない代物だ。ハロウィンので使われるようなコスプレ用のジョークグッズ白衣だった。丈は心細いほど短いミニ丈で、腿のほとんどが露出している。おまけにスカート部分はプリーツになっており、ふわりとしたフレア状に膨らんでいる。ちょっとした身体の動きでヒラヒラと揺れる薄い生地は、着るものを不安にさせた。さらに、着用する前にブラジャーも奪われた。ノーブラの乳房が可憐な二つの突起が、安っぽいナイロン生地をぷっくりと隆起させているのが、遠目にも見て取れる。
弥穂は、当然、必死で抵抗した。だが、鴻上はイヤらしい笑みを浮かべながら平然と言い放つ。
「グズグズしてても時間だけが過ぎていくで。店に出てからがプレイ開始や。次がつかえてるんちゃうんか?まあワテにとっては関係ないけどな」
鴻上の後には、間髪入れずに税理士の三島が予約を入れている。ここでグズグズして、また遅刻扱いにされたら、その分苦しむのは自分自身だ。弥穂は、時計の針を見て、スケベ衣装の着用を受け入れたのだった。
不幸中の幸いというべきは、接客中はマスクの着用が義務付けられていたことだろう。素顔を晒しているのであればとても耐えられないような淫猥な衣装だが、弥穂はどうにか心の整理をつけた。
(見られても、顔までは、覚えられない、はずだわ。もう、覚悟するしか……)
膝小僧をガクガクと震わせながら、弥穂は店舗フロアへ足を踏み出した。
「豊島君。この奥さん、とりあえず体験入店や。指導したって。奥さん、先輩の言うことは何でも素直に聞くんやぞ、何でもな、ぐへへへっ」
「いやー、鴻上さん、それにしても今度の娘は上玉ですねぇ。涎が出そうっす」
(な、なんなのこの人は、一体……)
そもそも弥穂がいるこの店は、先月まで勤めていた女子大生の「看板娘」が辞めてしまってからというもの、売り上げが伸び悩んでいて、鴻上の展開する約二十の店舗の中のお荷物的な存在となってしまった。鴻上は、開き直って、このお荷物店舗を自分の性欲を満たすための空間として使い始めたのだった。鴻上は正社員は別店舗に移動させ、自分と馬の合う(というより女を辱めるという共通の趣味を持つ)この豊島という予備校生風のフリーターに店の実務のほぼ全てを任せていた。
「じゃあ、初めは品出しから。よろしくねぇ」
豊島は、容姿において不快感を与えるという点では、鴻上と似通っていた。痩せこけた頬には無精髭。だらしなく半開きの口の間から覗く歯は黄ばみ切っている。(そもそも店のルールであるはずのマスクも外している)ぼさぼさ頭には所々「ふけ」が目立つ。
弥穂に作業の内容を指導する間も不必要なほど身体を寄せ、ズボン越しに固くなったイチモツを擦りつけたり、偶然を装って肘を胸にぶつけたりといったセクハラ行為に及んだ。
弥穂が、抵抗できないことを確認すると、行為は次第に大胆になり、尻を撫でさすったり、耳の裏で卑猥な冗談を吹き込んだりといったことまでしてくるのだ。
「あ、あの、やめていただけますか……」
遠目に腕組みをしながらこちらを見ている鴻上に、聞かれないよう押し殺した声で弥穂は抗議した。キッと睨みつけられると、根が臆病者の豊島は一瞬怯んで、手を止めた。
「ちぇっ、なんだまだ調教途中なのか、素直じゃないなぁ、全く。まぁいいや、いいかい、この段ボールの中の洗剤を、一番上の棚に入れていって。高いから背が届かないだろう。この梯子を使うといいよ。ふふふ」
「あ、あの……、それくらいできますから、あっちへ行ってくれませんか」
豊島は、弥穂に仕事を振ったあともその場を離れようとはしない。その魂胆は明らかだった。梯子の下から、弥穂のスカートの中を覗きこむつもりなのだ。
「ふふ、この梯子は少しガタが来てね、下で支えていないとぐらつくんだよ。ほら、下で見ててやるから、早く早く」
(ああ、どうしても除くつもりなのね……)弥穂は観念したように深呼吸をすると、梯子に足をかけた。片手で梯子を握り、もう片方の手には洗剤を持っているので、スカートの裾を抑えることも出来ない。純白のパンティはモロに豊島の視界に収まっていることだろう。
「うっわぁ、デッカイケツが落ちてきそうだ。迫力満点だぜ」
弥穂のむっちりとした尻を包むフルバックのパンティを見上げる豊島の、緩み切った表情が目に浮かぶ。屈辱に耐えながら弥穂が淡々と品出しをしていると、やがてパンティのクロッチ部分をスーッとなぞられる感触が弥穂を襲った。
「い、イヤ、なにを……」
豊島が悪戯を仕掛けてきたのだ。梯子のうえで身を捩ってかわそうとするが、バランスを崩しそうになる。
「おおっと危ない、危ない。気を付けて」
親切を装い、豊島が弥穂の尻を鷲掴みにする。
「もう、いい加減に……」
「お前さんたち、お楽しみのところ悪いけど、お客さん来てるから、そろそろレジに回ってくれへんか?」
弥穂は、逃げるように梯子を下り、レジの方へ向かった。
弥穂は、学生時代にはスーパーでバイトをしていたこともあり、レジ打ちなどはそれほど難しくない、そう考えていた。だが、実際やってみると、レジも機種や店の設定によって操作方法が異なっている。医薬品特有のルールなどもあり、勝手が分からない。何の事前指導もなく放り込まれたので、まごついているうちに、客がイライラしだす。弥穂は、身を切るような屈辱に耐えて、豊島に助けを求めた。
豊島は、客の前ではハキハキとした快活な店員を演じている。(いつの間にかマスクも着用済みだ)
親切に新人の弥穂に業務指導をしている、という風を装いながらも、カウンターの下の死角では弥穂の尻や、スカートの中を弄っている。客の前で悶着を起こす訳にはいかず、ぐっと耐え忍ぶ弥穂だったが、肝心の仕事の説明が全く頭に入ってこない。非常識なコスプレ衣装で客の視線に晒されているということも一因であった。
「奥さん、まだ若いのに物覚え悪いっすねぇ」
客が去ると、豊島は再び本来の意地の悪さを隠しもしない。
「くく、まあそう言わんといたって。俺とハメハメしとうて仕方ないのに、店の手伝いなんかさせられてるから、じれっとうて仕方ないんやろ」
「ち、ちがう、何をそんな……あぁ……」
自分が身を売るためにこの店を訪れたことは、既に豊島も認知しているようだ。弥穂は孤立無援の状況に、嘆息した。
豊島が、指を鼻のあたりにかざして、わざとらしく息を吸い込む。
「ホントっすね。触ってるうちに、パンツのあたりがどうもヌルヌルしてきたなと思ってたんですよ。このエロい匂いは、ヤル気満々の合図ですね!」
「何を、ば、バカなこと言わないでください!」
鋭く否定するが、左右から豊島と鴻上がクンクンと女体の香りを嗅ぎつけてくる。
「こうしていてもビミョーに香ってきよるのぉ、欲求不満人妻のオーケーサインが」
「でも、いいんですか、医療品を扱っているうちみたいな店で、店員がパンティ汚して応対なんて。清潔感をアピールするためにせっかく白衣を着ているのに、台無しじゃないですか」
「それもそうやなぁ。奥さん、そのボトボトのパンティ、脱いでんか?」
「そ、そんなに、言われるほど、よ、汚していませんわ。言いがかりはよして」
有無を言わさぬとばかり、左右から男の手がスカートに潜り込み、フルバックパンティのゴムの部分を掴んで強引に引き下ろしにかかった。若妻の細腕は、その頼りない布切れの真ん中部分を掴むので、パンティの外形は無惨に「へ」の字に歪められる。
揉みあいはしばらく平行線だったが、やがて豊島の片手が、胸の部分にぷっくりと浮かび上がった乳頭をクイっと摘まむ。弥穂の注意が上半身へとそれると、パンティの端を握りしめる手が一瞬緩んでしまう。男二人の力には抗えず、白布はあえなく膝のあたりまで引き下げられてしまった。
「イヤ、こんなの、イヤよ!」
ほとんど奪われつつある下着を何とか取り戻そうと悶えているうちに、運悪くまた新たな客が来店した。カウンターの下で起こっていることを客に悟られるわけにはいかない。弥穂は、泣く泣く抵抗を諦め、パンティは、左右の足首からも引き剥がされてしまった。
ほどなくして、店の様子に異変が生じた。俄かに客足が増してきたのだ。弥穂の覚束ないレジ打ちでは、瞬く間に客の列ができる。だが、弥穂のレジが捗らないのは、単に不慣れであることだけが理由ではなかった。カウンターの下で、あろうことか店の経営者である鴻上が、弥穂両脚の間に陣取り、ひっそりと息づいた女の園に悪戯を仕掛けているのだ。
「ひゃっ!」
内腿の付根あたりを、中年男の分厚い舌が這う。あまりに不快なその感触に、弥穂は声を我慢できない。
眼前の若妻の不自然でセクシーな挙動に、レジに並ぶ男達は興味津々の様子だ
豊島は、緩慢な手つきで、レジ裏に陳列されている第一種医薬品の棚の整理をししながら、弥穂の窮状を目で楽しんでいる。
「お待たせして、申し訳ありません、す、少しお待ちください……」
いたたまれなくなって、まともに客の顔が見れない。すると、目の前に立った小太りの男から意外な言葉を投げかけられた。
「ふふふ、いいのいいの。ゆっくりやって、新人でしょう?僕いくらでもここで待っててあげるから」
「えっ……」
見上げると、小太りの男は舐めまわすように弥穂の身体(とくに浮き上がった乳首を)見つめている。手にはスマホが握りしめられ、カメラがこちらを向いているではないか。
「い、いや……」
小太りの男が、弥穂の身体と、スマホの画面をチラチラと見比べている。その様子から察するに、盗撮されているのではないか、という不安がよぎる。弥穂は思わず手で胸元を覆う。
「なんだぁ、感じ悪いなぁ、人をそんな汚いものを見るような目で見ないでくれよぉ、新人の園川弥穂さん」
「えっ……」
小太り男に名前を呼ばれて、弥穂はぞっと悪寒が走った。先ほど、テプラシールで作った名札を胸の上あたりにつけさせられていたことを思い出した。
ふと気が付くと、レジ前の列が崩れていた。目の前の客は全員が男性で、年も二十代から三十代に偏っているではないか。(おかしいわ、なんなのこれは……)男性客達が血走った眼付をしながら色々な角度から弥穂の様子を覗き見ようとしている。もう会計など二の次といった様子で、せわしなく弥穂の姿とスマホの画面を見比べている。破廉恥なコスプレ姿を、実名(しかもフルネームだ)付きで撮影されていることはもはや否定しようもない。腋の下から嫌な汗がじわりと噴き出す。
「ああ、あの、お客様、どうか、どうか列に、お並びください」
やがて、初老の老人がレジ前に立った。スケベ心丸出しで鼻の下を伸ばしている他の客たちとは、一見して様子が異なり、眉間に皺を寄せて苛立ちを隠そうとしない。会計が一向に進まず、行列で待たされていることで、相当に頭に来ているようなのだ。
「お客さま、大変お待たせして、申し訳ございません。ああんっ、くっ……す、すみません、なんでも、ご、ございませんの……ふ、ふぅ……」
平静を装い、迅速にレジ打ちを進めようとした矢先、鴻上が更なる暴挙に出た。ブーンという作動音と共に、クレバスの周囲を柔らかいブラシが撫でる感触が走った。店の新商品である、電動歯ブラシで弥穂を苛めようというのだ。(いけない、いけないわ、こんなものを当てられたら……止めて、もうこれくらいにして……)
弥穂の祈りも虚しく、ブラシは媚肉に侵入してきた。膣襞から豊かに染み出した分泌液をたっぷり掬い取り、そのまま狙いを最も敏感な女の尖りに移した。
スカートの中で繰り広げられる狼藉に気を取られ、注意は散漫になる。快感の波に呑まれまいと、時折固く目を閉じて身を固く強張らせ、静止してしまうので、レジ打ちが捗るはずがない。その様子がついに老人の逆鱗に触れた。
「何をやっているんだ!これだけ待たせておいて、居眠りでもしているんじゃないか、どうなってる!」
「ああ、申し訳ございません、決してそんな、わけではっ、あ、あ、あぃっ……」
客から叱責を受け、謝罪をしている最中だというのに、肉芽は、体験したことのないような刺激に強襲された。スクラブ入り、ミントフェイバーの歯磨き粉をクリトリスに塗り込めながら鴻上の持つブラシが振動を始めたのだ。背筋から脳天にかけて、強烈な電流が流れ、弥穂は思わず白い喉を突き出してしまう。大声で叫びたくなるのを何とか堪えるが、耐えきれなくなって天を仰ぐ。(ああ、こんなの、とても、耐えられない!)
鴻上は、太くゴワゴワした指先にしては繊細な手つきで弥穂の若芽の包皮をつるりと剥き上げ、女の弱みが凝縮されたようなその核心に、容赦なくブラシの振動に晒した。体中が強張り、金縛りにあったような痙攣と、全身の血液が凝固してしまうような息苦しさが弥穂を襲う。
「あぁ、お、お客、さ、まっ……、わ、私、め、眩暈が、しますのっ、む、むぅぅん、ああ……」
まさか、公共の空間で絶頂の告白をするわけにはいかなかった。立ち眩みがしたような風を装い、必死でアクメを誤魔化そうとしたが、妖艶すぎるその声色から、女が官能に屈する瞬間であることは、周囲の客たちの目にも明らかであった。
その後も弥穂のレジ打ちは一向に進まず、収拾がつかなくなるほど店に男性客が滞留した段階で、ようやく豊島が助け舟を出した。エクスタシーの痙攣がやんで、へなへなと崩れ墜ちそうになる肩を支えて(同時にここぞとばかりに膨らんだ股間を桃尻に擦り付け、柔らかな弾力を愉しむことも忘れていない)、取ってつけたような快活さで言う。
「はい、園川さん、お疲れさまでした!休憩入ってください。後は僕が変わりますから」
背後に、男達の落胆のため息と、自分の後ろ姿に注がれる視線を感じながら、弥穂は逃げるように事務所へと去っていった。
突然発生した好色な男達の群れは、自然発生したわけではない。
彼らは、豊島の管理する匿名SNSアカウントのフォロワーだった。豊島は、街角で見かけるセクシーな服装の女性を盗撮しては、位置情報付きで投稿するアカウントで人気を博していた。特に、新型ウィルスが蔓延して以降、人々は外出自粛を余儀なくされていたわけだが、そんな自粛に我慢の限界を迎えた若年層は、若く美しい女性を目撃することに飢えていた。
弥穂が着せられているナース服のインパクトは絶大だったようで、短時間に十名近くの男が豊島の発信に吸い寄せられて来店したのだ。これは豊島にとっても予想外に多い数だった。
十五分ほど経つと、鴻上が事務所に戻ってきた。開口一番、丸椅子に座って、傷ついた鳥が羽で身を隠すように背を丸めた弥穂に残酷な要求を突きつけてきた。
「さぁ、休憩は終わりや。客も引けてきたから、ここらでタイムセールをやる。奥さんには、店先で客引きをやってもらうで」
「絶対、絶対に、イヤです、そんなこと。も、もういい加減にしてください。抱くなら、早く抱けばいいじゃないですか、どうしてこんなことまで……」
「忘れたんかいな。アナル以外はNGなしなんやろ。お前の身体でどう遊ぼうと、そりゃあワテの勝手やろ。ほら、立てぃ!」
鴻上に強引に手を引かれ、再びフロアへ曳かれていく。店内にひしめき合っていた男性客の大部分は既に退店していたが、それでも先刻の野次馬の群れの中で見た顔が、三名ほど、店の中をそぞろ歩きしていた。弥穂が事務所のドアから出てくると、眼を輝かせながら近づいてきた。
「い、イヤ、まだ、まだいます……」
弥穂は、鴻上に掴まれた手首を懸命に引き戻し、玩具をねだる幼子のように抵抗した。
「アホ、せっかくファンが出待ちしてくれてるんやないか。ニコッっと笑って手振らんかい」
鴻上が、目配せすると、豊島の手がすっと伸びてきて、弥穂の耳にかかったマスクを引きはがしてしまった。
「な、何をするの、やめて!返して!」
豊島のズボンのポケットに吸い込まれてしまったマスクを、弥穂は半狂乱になって取り戻そうと藻掻いたが、背後から抱きすくめるようにして鴻上に取り押さえられ、因果を含められる。
「なぁ、奥さん。騒げば騒ぐほどあいつらの思うつぼやで。奥さんがもめ事起こしたら、その分あいつらますますジロジロ見よるし、撮影しよる。こんな恰好、拡散されたないやろ?明るく自然体でおったら、返って盗撮なんかしにくいもんや。ほら、笑えよ。スマイルして手振れ、早う」
強張り、引きつった表情で、弥穂はなんとか口角を上げる。視線は不安げに泳ぎ、手を振っているというよりは、ほとんど震えているだけに近い。弥穂が脅され、露出ファッションを強制されていることはギャラリーにもそれとなく伝わっている。
鴻上の言葉とは裏腹に、盗撮魔たちはますます大胆に若妻ににじり寄ってきた。(ああ、そんな、もう、見ないで、撮らないで……)
見物人たちは、再び弥穂を至近距離で視界に入れることが出来ることに、悦びの表情を隠しきれない。ニタリと締まりのない笑みを浮かべながら、弥穂が入り口付近へと進んでいくのに合わせて、自らも後ずさりしていく。ノーブラの乳房は、ピンクのナース服の中でブルん、ブルん、と跳ね、男達の眼を喜ばせた。
やがて、店の入り口付近までやってくると、豊島が弥穂に一枚のプラカードを渡した。
「十三時から、タイムセール、全品一律十五パーオフ」とデカデカと書かれたその板を頭の上で抱えよと言う。弥穂は、モジモジと躊躇いがちで、腕が上がらない。マスクもしていない素顔を晒したくない心理も働く。豊島が、やれやれと呆れたような表情で弥穂の後ろに立つと、その二の腕を掴んだ。
「違う、違う、こうやって思いきり遠くからでも見えるように、腕はピンと伸ばすんだよ」
「ああ、は、恥ずかしいです」
無理もない。コスプレ用のナース服は、ノースリーブなのだ。高く腕を上げれば、脇の下を通行人に晒すことになる。普段の弥穂は、小まめにムダ毛処理を行っているのだが、実は筑摩家で囲われるようになって以来、ムダ毛処理すら自由にはさせてもらえない。というのも、だらしなく黒ずんだ腋を悪友の理沙と恭子と共に揶揄いながら、T字カミソリで剃り上げるのが、麗奈夫人の愉しみの一つだったからだ。
店内で熱っぽい視線を絡めてくる男達とは異なり、通行人たちの視線は極めて冷ややかだった。呪わしいものを見るような目で一瞥しては、眼を逸らす中年女性。幼子をベビーカーに乗せた母親が、ギョッとしたような顔をし、子供に見せないようにと日除けを慌てて引き下ろす様などは、弥穂の自尊心を思いきり切り裂いた。
「た、ただいまより、タイムセールを行います。全品、十五パーセントオフになります……」
声は上ずり、震え、誰にも届かずに足元の辺りでぽとん、と落ちてしまう。もっと声を張れ、と鴻上から小突かれても、どうしても踏ん切りがつかない。
「なんぼ言うても声が出えへんなぁ。もうええわ。声やのうてビジュアルで勝負や」
鴻上の手が弥穂の腰に添えられた。
「な、何をするんです……」
野太い指でがっしりと肉を掴み上げた手が、若妻の腰部がクネクネと回転するように促し始めた。腕はピンと伸ばしたまま、腰だけがいやらしく捩じり回される。クイ、クイとくねる度にスカートの裾がふわりと弾み、弥穂を焦らせる。少し強い風が吹こうものなら、世界に向けて女性器を晒すことになる。 大胆な衣装とは裏腹に、羞恥に身を強張らせた女の悲哀は、晴天の午後に異様な光景を生み出していた。
「うわ、なにあれ、ヤバくない?」
とりわけ弥穂の心を傷つけたのは、店の前を横切る女子高生の三人組だった(感染拡大の非常事態宣言下、多くの学校は午前午後の二部制を取っていたので、昼過ぎには下校の風景が見られた)
女子生徒たちは、変態的な衣装とダンスで客寄せをする弥穂を指さしながら、ヒソヒソ声で囁き合う。足を止め、弥穂の痴態を食い入るように見つめている。女子たちは、好奇心の高鳴りとともに、弥穂の耳にも聞こえるようなボリュームで面白おかしく囃し立てるではないか。
「あんなエッチな客引きってありなの?警察とか来ないのかな」
「しかもあのエロオヤジ手つきヤバいでしょ」
「でも、あの女の人もさぁ、好き放題やらせてるじゃん?どういう関係なんだろ。愛人とか?」
「わぁ、趣味わる~。ゲテモノ食いってやつかなぁ」
「ねぇねぇねぇ、あの女の人の腋見てよ、腋!超黒ずんでるじゃん。恥ずかしくないのかなぁ、あんな汚いの見せて」
「それもあの後ろのオヤジの好みなのかなぁ」
「そういうプレイってことかぁ、大人ってほんとスケベなんだね」
(ああ、もう、言わないで。好きでこんなこと、してるわけじゃないのよ。もうあっちに行って頂戴、お願いだから)
女子高生の無邪気だが残酷な台詞に心の弱い部分を突き刺され、惨めさが、爆発した。弥穂は、人目も憚ることもできずに、大粒の涙を流した。嗚咽が込み上げてくる。
「マジ受けるんだけど、何この展開、泣き出したじゃん、ついに」
「そんなに恥ずかしいのかなぁ。なら初めからしなきゃいいのにね、あんな恰好。あたま悪すぎじゃん」
自分たちの言葉が弥穂を追い詰めたことなど知る由もなく、女子生徒達はキャッキャいいながら、なおも立ち去ろうとはしない。
弥穂は、プラカードを持つ手を下ろし、泣き腫らした目で鴻上許しを請う。鴻上は、気味の悪い笑みを浮かべて言う。
「終わりにしてほしいんか?」
「……もう、恥ずかしくて、う、ぅぅ、死にたい、くらいです」
「じゃあ、何がしたいんや、奥さんは」
「お、奥の事務所へ、戻らせてください」
「ほう。それで、事務所で何をする気だ?」
「う、うぅ……」
「素直な気持ちで言ったら客引き、終わりにしたってもええで」
「くっ……・だ、抱いてください」
「抱く?なんや、ハグか?こうしたろか?」
鴻上が後ろから弥穂を抱きしめる。
「ち、違います、もう放して、見られています!」
「ワテは何のことか分からんからなぁ。奥さんがしたいこと、聞かせてくれやぁ」
「……セックス、です」
「はぁ、なんてぇ聞こえへんわぁ。豊島君、今の聞こえたぁ?」
「いや、全く何を言ってるか分かりませんでした」
「……事務所で、セックスしてください!早く、セックスが、したいんです!」
もうたくさんとばかり、弥穂は叫んだ。一刻も早くこの場から逃れたい一心だった。今の自分は、素顔も本名さえも晒している。この街の住民を前に、これ以上痴態を晒したくなかった。夫とともに、今後もこの街で生きていかなくてはならない。こんな姿を大勢に晒してしまえば、とても暮らしていけなくなる。そう思った瞬間、思わず叫んでいた。
だが、弥穂は言った端から後悔した。青空の下、鴻上のような醜男に対して求愛を叫んだ自らの滑稽さを、前方の女子高生は腹を抱えて笑っている。さらに、後ろを振り返れば、盗撮魔たちがもう我慢できずにポケットに突っ込んだ手でそれぞれ性器を弄り始めているのを目にしてしまったのだ。