添田さんの在宅勤務は、唐突に終わった。
北斗物産は、さすがに大手の総合商社だけあって、社内の換気の設備やら消毒薬の設置、デスクの間のアクリルの設置など、感染対策を万全に整えた。そのうえで、今後平均三割から四割程度の出社率となるように調整することになるという。
「どうして、添田さんが出社しないといけないんですか…、リモートでもなんとかなってるじゃないですか」
私は、自分を抑えられず、駄々をこねた。全員出社ならともかく、半分以下の人しか出社しないのに、どうして添田さんが?どうして「私の」添田さんが?
だけど添田さんの上司にあたる課長や部長が出社するのに、添田さんだけ在宅、というわけにはいかないらしい。
「でも、摩耶だってさすがにいつまでもこのままじゃいけないだろう?俺が出社するなら、アシスタントの君だって出社できるわけだし」
彼は、在宅勤務中、何度も私に給料を渡そうとしてくれたけど、私はそれを拒みつづけた。それが、彼にとっては負い目だったのかもしれない。
出社が始まる日の前日、延々と泣き続ける私を抱きしめながら、彼は言ってくれた。
「これで何かが終わるわけじゃないから」
彼が出社を始め、その三日後には、私も晴れて休業状態が解かれた。
久しぶりに訪れた品川駅は、いつもに比べるとずいぶん寂しかったけど、人通りが皆無、というわけではなかった。改札から港南口のビル群へ向かう通路には、ポツリポツリと背広姿が目に入る。
海外でこのウィルスの治療薬が開発され、一定の効果が確認された、というニュースも出たせいだろうか、道行く人たちの顔付きも、幾分か晴れやかに見えた。
もちろんマスクはしていたけど、私はもうメガネをしていなかった。オフィスにつくと、社員さんの何人かが私の顔をみて、一瞬「え、誰?」というような表情をするのが、なんだか可笑しい。
「笠谷さんだったんだ!メガネしてないから一瞬分からなかったよ!あれぇ、なんかこんなに美人だったっけぇ」
添田さんの上司、笹山課長が珍しく声をかけてきた。いつもは私のことなど気にしたこともなかっただろうに。曖昧に笑みを返して、私は席についた。
メガネを取ってから、いや、添田さんに愛されてから、私も少し変わったのだろう。悪い気はしなかったけど、今まで添田さん以外の人に声をかけられることに慣れてなくて、少し戸惑ってしまった。
「笠谷さん、久しぶり。早速で悪いんだけど、この数週間で、色々滞っていることがあってね。ちょっと大変だと思うけど、まずは原状復帰できるように、頑張ってほしい」
添田さんはあくまでいつもと変わらぬ風を装って言う。(実際は、普段私がやっているような仕事も、彼が在宅勤務中に仕上げていたので、そんなに仕事が溜まっているわけじゃないことを、私は知っている)
彼の肌に触れられないのは、もどかしい。それでも他の社員さんが知らない秘密を二人で共有しながら、職場の空間にいるのも、何かドキドキできて案外悪いものじゃなかった。
一日オフィスで仕事する間、笹山課長だけじゃなくて、他の部署の男性社員からも、やたらと声をかけられる。単に彼らが在宅期間中に異性と話す機会がなかった反動のせいなのか、それとも私自身が、少しは可愛くなったからなのか…。
男性社員と言葉を交わす私の様子を彼がどう見ているだろう?そのことばかりが気になってチラチラと彼の様子を伺う。だけど、添田さんは超多忙な様子で、全然私の方に視線を送ってもくれない。なんだか少し、寂しい気持ちになった。
本当は彼と一緒に最後までオフィスに残って、一緒に帰りたかった。でも、彼は本当に忙しそうで、もう二十時だというのに今からビデオ会議だという。気を遣わせたくなくて、私は先に退社することにした。
更衣室に入ると、中で添田さんのチームの、一般職の女性社員が二人いた。既に制服から私服に着替えて終えているようだが、何故か退出しようとはしない。
「…お疲れ様です」
「ふふ、来た来た。やっと来た」
「えっ?」
不穏な雰囲気を感じて、私は身体を固くした。私を、待っていた?
一人は、西村陶子。三十二歳で、添田さんとは同期だという。もう一人は、その後輩で、前島愛実といい、年は私と同い年の二十五歳。
私は、以前からこの二人が苦手だった。総合商社なので、出張や出向のない一般職の社員であってもかなり専門的な仕事を任されている。その自負があるのか、プライドは高い。
私が添田さん専属のアシスタントということもあって、チームメンバーの二人よりも先に機密情報に接することなどもあったりするのが、彼女たちには気に入らなかったらしい。何か危害を加えられたりするわけではなかったが、とにかく私の存在を無視するような態度が、精神的にすごくきつかった。
私が彼女たちと向き合うのは、専ら添田さんが傍にいる場面に限られていた。だから、更衣室という閉鎖空間で彼女たちに話かけられると、急激に心拍数が高鳴る。それに、二人の表情には何か不気味な、悪意に満ちた冷笑が浮かんでいる…。
「休業中は、ずいぶん楽しかったみたいね?イメチェンまでして、見違えたじゃない」
「ほんとですよねぇ、なんか急に垢抜けしたみたいで、可愛くなっちゃって。ふふふ、なんか夏休み明けの高校生みたいじゃないですかぁ?彼氏が出来て、初体験も済ませてぇ、急に大人っぽくなったりして、みたいなぁ、あはははは」
西村陶子の方が、厭味ったらしくいうと前島愛実がそれに調子を合わせる。
「あの、何の話でしょう。別に、ずっと家にいましたし、ただコンタクトにしただけです」
私は動揺を悟られないように落ち着いて答えた。さっさと制服を着替えてしまって、この息苦しい空間から抜け出したかったが、何か私の身体をジロジロと品定めするような視線を這わされ、なかなかボタンに手がかからない。
「そうかしらぁ?あんなに地味でダサかった笠谷さんが、メガネを取っただけで急にこんなに女っぽくなったりするなんて、ちょっと考えられないんだけどぉ?」
同い年の前島に堂々と侮辱されて、腹が立った。返事もせずにロッカーを開け、着替えに取りかかる。
バシーン!
けたたましい音とともに、ロッカーの扉が叩きつけるように閉ざされた。西村が足で思いきりそれを蹴りつけたのだ。
「な、何するんですか!」
「私さぁ、ウソつかれるのが大嫌いなんだよね。もう一回聞くけど、この数週間の間、あなた、ずっと自宅で待機してたの?」
「…は、はい。そうですが、それが何なのですか?西村さんに、何か関係あるんですか」
女二人は、目配せしながら肩をすくめた。
「そう?じゃあ、この時、あなた。どこで、誰と…何してたの?」
「うぅぅ、添田さん、もう、これくらいに…」
「ダメ。俺を誘惑したんだから、これくらい耐えてもらうよ」
「なんで、そうなるんですかっ、そんなの、変です…、もう、狂っちゃうから止めて!」
「そうか、摩耶は、中の方がよっぽど好きなんだね。安心して、これから何回も何回もやってあげるから。頭がおかしくなるまでイカせてあげる」
西村の握ったスマホから、大音量で私と添田さんの声が鳴り響いた。反射的に、手が伸びて、それを奪おうとしたけど、間に前島が割ってきて、制止された。
「これ、あなたと添田主任だよねぇ?」
「…」
「分からないんだ?じゃあいいわ、添田君に聞いてみるから」
「待ってください!あの、それは、どうして…」
「あれぇ、認めるんだぁ?だったらさぁ、まずは社員に対して嘘ついてたこと、謝るのが先じゃあないのかなぁ?」
私と同い年の前島の方が嬉々として畳みかけてきた。
「ああ、嘘をついていたことは、謝ります。ごめんなさい…でも、あの、それをどこで…」
「どこでも何もぉ、添田主任が急にビデオ会議切り上げちゃって、そのあと私たちだけで打合せしてたんだけど、急にあなたの声がしたのよ。そしたら、なんとぉ!急に熱々の濡れ場が始まって、ビックリしちゃったわぁ!」
あの日だ。過激な下着をつけて、添田さんを誘惑した、あの日の夕方。添田さんはたしかラップトップを閉じてたけど、会議の音声接続は切れてなかったんだ…。私は、なんてバカなことをしたんだろう。
弱り切った私をさらに追い詰めるように、年配の西村の方が口を開いた。
「さて、あなたと添田君の関係、詳しく聞かせてもらおうかしら」
二人はいつの間にか持ち込まれていた折り畳みのパイプ椅子に私を座らせ、その周りを威嚇するようにゆっくりと旋回しながら、尋問を始めた。
「…添田さんに、家で仕事を手伝うように頼まれて、それから、それから、その、そういう関係に、なったんです」
「ふーん、つまり休業中で立場の弱い派遣社員を家に連れ込んで、性欲処理の道具にしてたってことだよねぇ?それってかなりヤバいことよ。添田君、懲戒免職ものじゃない?許せないわぁ、同じ女として」
「ち、違うんです!そんなんじゃありません!」
私は、思わず叫んだ。それから、事態の深刻さに震え上がった。私は、添田さんの人生を危機に晒している。頭の中が真っ白になって、卒倒しそうになる。
「どう違うっていうの?」
「私が、望んだんです。添田さんは、何も悪くないんです!」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、笠谷さん、あなたの方が誘惑したっていうこと?」
「…そう言うなら、そうです」
なんとか、最悪の事態は避けないといけない。私がクビになることくらいは覚悟できていた。
「ねぇねぇ、西村センパーイ、多分そうですよ、この子が誘ったんですよ。ほら、聞いてくださいよ、この部分」
「…私、添田さんの赤ちゃん、欲しい。だから、たくさん、中に、私の中に出して!」
スマートフォンで、私の甘ったるいおねだりを何度も、何度も大音量で繰り返し再生され、私は顔を覆った。
「へぇ、なるほど。エリート社員を誘惑して、ちゃっかりデキちゃった婚に持ち込もうって魂胆だったんだ。呆れた」
「そ、そんな言い方…」
「それにしてもあの添田君が、そんな手にあっさり引っかかっちゃうなんて、意外だね。よっぽどこの子の身体がすごいのかしら?」
「私もそれ、すっごい興味ありますぅ!添田主任が仕事を放りだして、むしゃぶりつきたくなる身体ってどんなだろうなって!」
二人は、妙な方向に興奮しはじめた。四本の手が、座っている私の肩や腕、首筋から胸元までを妖しく撫で始めた。私は、上半身を折りながら、思わず両手で身体を覆った。
「あなたの裸、しっかり見てみないと、やっぱり信じられないわ。とりあえず今すぐ服、脱ぎなさいよ」
「な、なんですって!じょ、冗談ですよね?」
耳を疑うような発言に、私は叫んだ。だが、二人の女の目は全く笑っておらず、それが冗談ではないことは、明らかだった。
同性とはいえ、悪意に満ちた二人の前で肌を晒すなど、考えられない。とにかくこの場を立ち去らなくては。着替えなんて、どうでもいい。立ち上がろうとしたその瞬間、両方の足首に冷たい感触が走った。ふと見ると、私の足首は手錠でパイプ椅子に固定されてしまっていた。
「…いったい、何を…」
あまりのことに呆気にとられているうち、私の両腕は、二人にそれぞれ左右から捉えられ、瞬く間に両手首までが椅子に固定された。
「はーい、じゃあ、一枚ずつ剥いていきたいと思いまぁーす♪」
前島の手が私の首元のリボンをスルスルと解き、ついで格子柄のベストも脱がされた。さらに西村の手が私のスカートのホックにかかった。
「や、やめて、やめてください!何をしてるんですか!」
拘束されて、もう逃げられないが、それでも身を左右に振り乱して私は抵抗を続けた。
「ふん、面倒な子ね。どうせあなたクビだし、制服なんて要らないわよね?」
いつの間にか、西村の手には、威圧的で大きくて真っ黒な裁ちバサミが握られている。暴れるとケガするよ、と言わんばかりに、黒い裁ちばさみは私の目の前で大きく開閉される。
「ああ、そんな、切らないで、お願いです!」
スカートの中央部分を、西村のハサミが走り、切り開いた。ジョキ、ジョキ、ジョキ…。
三回か、四回の開閉で、私のスカートは真っ二つに切り裂かれてしまった。
「ふふ、白くてムチムチしたお股だこと。たしかに悪くないかもねぇ」
西村のカサカサした手が、私の内股を撫でさすった。背筋に悪寒が走る。西村の目には、妖しく、倒錯的なレズビアンの炎が燃えていた。
「西村センパーイ、早くおっぱいも見ましょうよぉ」
前島と西村は私の左右後方へ立った。西村の右手と、前島の左手が私のブラウスの首元あたりに手がかかった。
「ああ、何を…、やめて、それはダメ!」
私の制止など無視して、二人の女は、ブラウスを左右に力いっぱい引っ張る。部屋中に小さなボタンが勢いよくはじけ飛んだ。ブラとパンスト越しのショーツを露わにしたまま、その身を庇うことも、逃げ去ることもできない。悪魔のような女子社員二人が、次に何を仕掛けてくるのかと、私はただ震え上がっていた。