逮捕から一週間ほどたった。横浜市保土ヶ谷区にある、高峰壮平の地元事務所の空気は暗く沈んでいた。
報道は、加熱の一途をたどった。壮平自身は無所属だったが、小規模のリベラル派政党などが、壮平を担いで大同団結するといった動きもあったのだ。逮捕前の壮平は一年生議員ながら政界の渦の中央にいた。それだけに、国会会期途中の逮捕劇は、世間に大きな衝撃を与えた。
俗情の代弁者たるマスコミは元キャスターのちづるからどうにかコメントを引き出そうと躍起になっていたが、そこは有田が全て引き受けていた。
代わりにちづるが対面で相手にしていたのは、地元の後援会の人間や、選挙協力をしてくれたボランティアたちだった。皆、口々に裏切られた、自分たちも反社扱いされて心外だ、などと辛辣な言葉を気が済むまで投げつけては、帰っていった。
午後九時過ぎに、最後の来客が帰ったあと、ちづるは深いため息とともに、ソファに沈みこんだ。
ふと、デスクでPCに向き合っている有田の姿が目に入った。笑っていた。その笑みの中に、どことなく不穏なものを感じたが、構わず話しかけた。
「遅くまで、お疲れ様。今日も、大変だったわね」
「ええ、奥様も、連日お疲れさまでーす」
 一日中、マスコミからの電話やメールに対応しつつ、国会の議長や検察との間の連絡も引き受けている。疲労困憊していてもおかしくないのだが、その日の有田は、ニヤついていて、軽薄な調子なのだ。
「あの……何か、いいニュースでも、あったのかしら?」
「ええ、とってもね。僕にもようやく運が回ってきたようです」
有田の調子は、軽薄を通り越して、嫌悪感を抱かせさえするものだった。ちづるは、自分が胸に抱いている違和感に確信を持った。
「あの、どういう意味なのかしら?説明してもらえる?」
「いやぁ、いろんな人が、僕の持っている情報を知りたがっているってことですよ。このハードディスクに入っている情報が、宝の山だったみたいなんです」
「えっ……」
 有田のデスクの上のPCに目をやると、USBメモリが刺さっている。低い駆動音と、PCの冷却ファンが異常な熱を持って回る音だけが響いている。どうやら、何か大量のデータを抜き出しているようだ。
「ほら、僕って先生のために霞が関を飛び出してきたでしょ?片道切符だったんだけど、ふふ、検察に協力したら、戻してもらえるかもしれないんです」
「そ、そんな!」
「霞が関だけじゃないんですよ?与党の先生方にも声をかけてもらっているんです。こっち側にこないかってね。おっと、ようやくコピーが終わったみたいです」
 有田がPCからUSBメモリを抜きとり、スラックスのポケットにしまって立ち上がった。ちづるは反射的にそれを制止した。
「やめて、それを……どうするつもりなの」
高峰事務所としては、やましい活動は一切していない。見られた困るものなどないはずだ。だが、選挙戦以前から歯に衣着せぬ物言いで有力者を滅多切りにしてきた壮平だ。政界、官界ともに敵が多い。こじつけでもなんでも、ありとあらゆる手段で壮平を貶めようとする輩はたくさんいる。
手が、軽く有田の肩に触れていた。
「何ですか、この手は?僕はもう帰るんですよ。邪魔しないでください」
 有田は全く動じるところもなく、不敵に笑った。そればかりか、一歩前に進んで、ちづるとの間合いを詰めた。腰のあたりがぶつかりそうなほど近くなって、ちづるは思わず後ずさった。
「何のデータを抜き出したの?見せなさい」
「お断りしますよ」
威厳を込めたちづるの言葉も有田には響かない。おまけに、ニヤニヤしながら、スラックスの膨らんだ部分を指さして言った。
「そんなに欲しいなら、力づくで奪ったらどうです?ほら、ここにありますよ。手を突っ込んでみてはどうです、ふふ」
「なっ……⁉」
 有田のスラックスのポケットの部分は、小さなUSBスティックの形に盛り上がっていたが、ちづるを驚かせたのは、そのわずか数センチ横にある、股間の部分の隆起だった。
夫の腹心の部下が、自分に勃起した股間を見せつけながらニヤついている……ちづるは、現実のこととして受け入れることができないでいた。
ふと気づくと、百八十センチ近い長身の有田が、ブラウスの隙間から胸元をのぞき込むようにしている。ちづるは思わず両手で覆った。
「やめてくださいよ、奥様。そんな大きな谷間見せつけておいて、人を覗き魔みたいに扱うのは」
「ふ、ふざけるのも、いい加減にしなさいっ!」
 叱責してみたものの、その声は上ずって、威厳に欠ける。
「主人を、裏切るつもりなの?どうして……」
「そのつもりだったんですがねぇ、いまになって僕のほうでも、少し名残惜しい気がしてきましたよ、これでお別れ、というのも」
「ねぇ、考え直して。あの人にはあなたが……」
 ちづるの言葉を遮って、有田が信じられない暴言を吐き始めた。
「せっかく頑張って働いたのに、まだ奥様のデカパイ、見せてもらってないですからねぇ」
 ちづるは、すぐには言葉の意味を飲み込めなかった。あまりにもあり得ないその台詞に、立ち眩みすら覚える。
「あれ?聞こえませんでした?奥様のその、スイカップおっぱい。見せてくれたら、もうちょっと居てあげてもいいかも、って言ってるんですよ?」
卑猥な言葉に、ちづるは身震いがした。キャスターとしてテレビに出始めた当時、胸の大きなちづるは、写真週刊誌などで、スイカップキャスター、などと興味本位の記事を何度も書かれた。
容姿を売りにアナウンサー職とは違う。記者出身で、実力で勝ち取ったポジションなのに、性消費の対象にされるその理不尽さに、一人で涙したものだ。
「見せるわけ、ないでしょ……ふざけるのも、いい加減に……」
 ちづるの怒声かき消すように、有田の手の中のスマホが鳴った。有田は、事務所の奥の、壮平のデスクチェアにドカッと腰を下ろすと、机上にスマホを投げ出し、スピーカーモードで通話を始めた。
「これはこれは、大澤先生、お電話ありがとうございます。いやぁ、お返事をお待たせするかたちになって申し訳ございませーん」
 電話をかけてきたのは、政権与党の選対委員、大澤十郎だった。横浜の選挙区で壮平に敗れ、なんとか比例復活での当選という屈辱を味わった老政治家だ。
 スマホからその特徴的なダミ声が響く。ちづるは対面で話をしたことはなかったが、少し聞いただけで本物とわかった。有田がいう「与党からも声がかかっている」というのは、ハッタリではなかったのだ。
「へぇ。ただ、こちらも気の強い奥方に睨まれておりましてねぇ。なかなかデータの持ち出しも簡単ではないんですよぉ。もうすこし、お時間いただけませんか?ところで、先生、例の、私に任せていただけるというポジションなのですがぁ…」
 公然と行われる背任行為に、ちづるは、我慢できなかった。机上のスマホに手を伸ばして、通話を切ってしまった。
「おおっと、何をするんです」
「盗んだ情報は、ここに置いて、出ていきなさい。二度と私たちの前にあらわれないで」
「いいですけど、しっかり対価は払ってもらいますよぉ?覚悟、できたんでしょうね?」
裏切者をキッと睨みつけ、ちづるが口を開いた。
「胸を見せたら、もうそれで終わり。すぐに出ていくのよ、いいわね?」
「うーん、それはちょっとイマイチですねぇ。急に電話切られちゃって、大澤先生の機嫌も損ねちゃっただろうし、僕の将来も台無しになっちゃったわけだから、おっぱいだけじゃぁ割にあいませんよ。真っ裸になってもらわないと!」
拒絶の言葉が口をついて出てこようとしたその瞬間、有田のスマホが再び鳴った。大澤からだった。
老獪な政治家で、たしか大臣経験もある男だ。USBメモリの中に、何か少しでも壮平に不利な情報を捻りだして、検察やマスコミに持ち込み、壮平の政治生命を完全に奪いにかかるつもりだろう。
(こんな形で、壮平さんの人生を、終わりにするわけには……)
 有田がスマホに手を伸ばすのを制止して、ちづるは短く叫んだ。
「言うとおりにするからっ!」

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