日に日に授業の質が低下していることは自覚しており、危機感は強く感じていた。その週の金曜日、小テストの採点に追われて夜九時ごろまで残業していると、英語科主任の北村に声をかけられた。
「華谷先生、ちょっといいかしら」
「は、はい」
日頃、北村は里穂に対して何かと厳しくあたることも多い。こんなに遅い時間に呼び出されて、良い話であるはずがなかった。きっと、手ひどく叱責されることだろう。
(ああ、きっと授業のことで、悪い評判でも立っているんだわ。どうしよう…)
だが、事態は想像よりも遥かに深刻だった。
職員用会議室に呼び出された里穂は、長机を挟んで、このハイミスの女性教師と向かい合う形となった。里穂が着席するなり、意地の悪い冷笑を浮かべ、北村は言い放った。
「どうして呼び出されたか、自覚はあるの、華谷先生?」
「いえ…どういうご用件でしょう」
「ふん、とぼける気ね。いいわ、質問を変えましょう。あなた、先週の土曜日、どこで、誰と、何をしていたの?」
「え…、ど、土曜日って…」
不意打ちをくらい、里穂は動揺を隠しきれず、目を泳がせてしまう。
(そんな、あの日のことが、見つかってしまったの?)
「あらあら、オドオドして華谷先生らしくないわねぇ。そういえば生徒からも最近授業中も心ここにあらずだって話だけど、何か関係あるのかしらねぇ、ふふふ」
「な、なんのことでしょう…わ、わかりかねます…」
「ずいぶん忘れっぽいみたいねぇ。これみたら思い出さない?」
北村が眼前に突きつけてきたスマホには、ショッピングモールのエスカレーターで、宗介に身体をまさぐられるままに身を任せた、ドレス姿の里穂を映し出していた。里穂は、目の前が真っ暗になるような絶望を突きつけられたのだ。
「ほんとにびっくりしたわぁ、休みの日に映画を見に行ったら、中からあなたが、ふふふ、こんなに大胆なドレス姿で出てくるんですもの。しかも、あなたのクラスの男子生徒を二人も連れて。染谷君と原口君だったかしら?あなた、あの二人とどういう関係?」
「…」
「あらあら、だんまり?口にできないような複雑な関係なのかしら。じゃあ質問を変えましょう。あなた、試着室の中で、生徒と何をしてたの?」
「ああ、何も、何もありません、ご、誤解があるようですけれども、ちがいます、ちがいますから!」
里穂の隠し切れない動揺は、このハイミスの目を大いに愉しませた。北村は上機嫌になりながらさらに駒を進める。
「みっともないわよ、逃げ切れると思ってるの?いいわ、しっかり裏は取れてるんだから。森田せんせー!入ってきてちょうだい!」
北村が出入り口の扉に向かって呼びかけると、体育教師の森田が中へ入ってきた。
「ど、どうして森田先生がここに…?」
破裂しそうに高まる心臓の鼓動で、息が苦しいほどだ。
この森田という男は、歳は三十代中盤くらい。体育教師で、逞しい肉体の持ち主だった。日に焼けたマスクも、それほど悪くない。だが、女性を見るギラついた眼差しや粗暴な言動が不快で、里穂は学園で勤務し始めた当初からこの男のことが苦手だった。
だが里穂の嫌悪感も素知らぬふりで、当初森田は何度もアプローチをかけてきた。何度もデートの誘いを拒否されるうち、森田は歪んだ欲望をセクハラ行為によって発散し始めた。卑猥な冗談を他の教師が聞こえる前で里穂に投げかけたり、あるいはすれ違いざまに軽くボディタッチするなど、だ。行為が日々エスカレートするので、一年ほど前に里穂は教頭の影山に直訴していた。おそらくその影山から警告があったのだろう、それ以来、直接的なセクハラ行為は落ち着いていた。
(とはいえ、ねっとりとしたいやらしい目つきで見つめられることは頻繁にあったのだが)
里穂の不安を掻き立てたのはこうしたいきさつだけではない。森田は、雄星と宗介が所属する水泳部の顧問なのだ。クラス担任である自分よりも、ある意味でこの問題生徒たちと近い存在だ。里穂は、蜘蛛の巣に絡めとられた自らの立場を自覚しないわけにはいかなかった。
「里穂先生、どうしたんだい、そんなにオドオドして?まるで悪戯が見つかった子供みたいじゃないか、ははははっ!」
「…な、なにが言いたいのですか」
「へへ、シラを切りとおすつもりか?たしかに、あんなこと、人に知れたら、ただじゃあ済まないだろうからな」
「もう、森田先生、もったいぶらないであの話、もう一度聞かせてくださいな」
北村は、見たことがないほどの満面の笑みを浮かべて、森田を急かす。
「了解。さて、里穂先生、心の準備はいいかい?
「……」
「あんたとうちの水泳部員二名がショッピングモールで、なにやらいかがわしいことをしているようだと、北村先生から相談を受けてね。私としては、顧問として見逃すわけにはいかないだろ?あいつらを呼び出して、問い詰めたんだ。そうしたら…、くくく、どうする、私の口から聞きたいですかい?自分で白状したらどうなんです?」
「し、しりません、何の話か、さっぱり……」
「ふふ、まあ、認めたくないだろうなぁ、生徒にお小遣いを渡してセックスの相手をしてもらってるなんてねぇ」
「ち、違う!デタラメを言わないでください!」
「そりゃあ初めは俺も耳を疑いったよ。清純を絵にかいたような里穂先生がそんな破廉恥行為に手を染めるなんてね。ただね、証拠を見せつけられたら、こりゃあどうやらあいつらの言うとおりじゃないかと思えてきてね」
「しょ、証拠って…」
「ほら」
森田の手元のスマホは、自宅のソファで対面坐位の体位で宗介に跨る里穂の姿を捉えていた。極まった表情で腰を振り立て、ついには昇天を告げる。絶対に人目に晒してはいけない動画が、嫌悪すべき男の手に渡ってしまった。里穂は、顔面蒼白のまま、絶句している。
「他にも、里穂先生が盛大にお楽しみになっている動画を複数証拠として提出されたんだが、確認するかい?」
「け、結構です…」
色を失う里穂を北村が追い詰める。
「ふーん、じゃあ、認めるのね?あなたがクラスの生徒を使って自分の欲求不満の捌け口にしていたことを?不純異性行為の上に、児童買春。警察沙汰だわ、なんてことでしょう」
「違いますっ!絶対に、そ、そんなんじゃないんです!これは……これ、脅されて…」
「ほぉ、脅されて?それは聞いてないが、どういうことだ?一体何をネタに脅されたと?」
「そ、それは…」
里穂の心は、揺れた。目の前の二人は、里穂が淫乱症で、生徒とのセックスを自ら望んでいると決めつけている。なんとしてもそんな汚名は晴らさなくてはいけないが、そうすれば弟との関係性まで告白しないわけにはいかなくなる。そうでなければ、どうして里穂が教え子たちの言いなりになっているのか、説明がつかない。
森田が里穂と純平の関係までも聞き及んでいるかどうかは、今のところハッキリとしない。これを自分で告白してしまったら、更なる脅しの材料にされかねない。何しろ北村と森田の目は、どす黒い悪意で爛々と輝いているのだ。このような相手に窮状を告白し、助けを求める気には、どうしてもなれなかった。
「見苦しいわねぇ、華谷先生。素直に認めなさいよ、自分がニンフォマニアで、好みの男子生徒を誘惑したって。しないなら、このこと職員会議で議題にしますけど?」
「それだけは…、どうか許してください」
「認めるの?認めないの?どっちなのよ」
「認めます…」
ついに切り崩された里穂は、悪辣な同僚二人の書いた筋書きに、まんまと乗ってしまった。
「ははは、やっぱりそうかぁ!いやぁ、しかし里穂先生、生徒に手を出さなくても、この私がいつでも相手をしてあげたのに。言ってくれればよかったじゃないか」
やはりこの好色漢は里穂の弱みに付け込んで肉体関係を迫るつもりだった。低劣なセクハラ男の言いなりになりたくはない。里穂は、涙目になりながらも、森田を睨みつけた。だが、北村までもが加勢してくる。
「何、その態度は?あなたが欲求不満を拗らせて生徒に手をださないように、森田先生が面倒見てくれると言っているのよ?これは言ってみれば、治療みたいなものじゃなくって?不良教師が非行に走らないような指導、とも言えるわね」
北村の棘だった言葉の暴力に、里穂はもう言葉も継げず、顔を覆って、泣き崩れてしまう。
「おやおや、泣く様な話じゃないぜ、里穂先生。あいつら調子にのってどんどん小遣いを吊り上げてきたんだろ?その辺は俺がきっちり灸を据えておいたから、安心しな。ほら、クレジットカードだってこの通り、きっちり回収してやったぜ」
里穂は、はっとして顔を上げると、たしかに奪われたクレジットカードがテーブルの上に置かれていた。この男の要求さえのめば、悪童四人に嬲られ、金銭を毟り取られる地獄からは逃れられるのだろうか?そう思うと、里穂は激しく揺さぶられた。
「な、悪い話じゃないだろ?俺が責任持ってあんたのムラムラは解消してやるし、その間あいつらにも更生してもらう。担任教師と生徒がこんな爛れた関係を続けていたらあいつらの人格形成にも悪影響だからな。それに、俺はあいつらと違ってお小遣いをねだったりしない。な?いいこと尽くしだろ」
「…ああ、森田先生、約束、必ず守ってください…。ねぇ、信じても、いいんですよね?」
「もちろんさ。そうと決まったら善は急げ、だ。ほら早く、ついてきな」