「さて、次のケーススタディに移るとするか」
笹山の呼びかけで、男子社員達の間で歓声が上がった。
パイプ椅子に腰掛けた私の背後にまた、笹山が回り込んできた。
「で、生理でもないなら、なんでそんなに顔色が悪いんだ、摩耶君?」
笹山の掌が、イヤらしい手つきで額、頬、首元を撫でてきた。
「熱があるんじゃないか、身体が火照ってるようだが?」
私はその手を振り払った。
「触らないでくださいっ!」
ボディタッチなんて、NGに決まってる。それなのに……周りの男子社員達は、ただニヤニヤしているだけで、誰一人として手を上げようとしない。
「身体を触るのは、セクハラでしょ、絶対にっ」
彼らに向けて叫んだ。
「うーん、どうだろなぁ。君たちはどう思う?」
余裕綽々で、笹山が男性生徒に話を振る。
「セクシャルなハラスメントってことは、性的なものなんですよね?じゃあ、おでことか首とかって性的ですか?」
「うむ。なかなかいい着眼点じゃないか。摩耶君、君は、顔を触られただけで、性的に催すのかね?」
「な、何を、何をバカなことを言ってるんですか、ふざけないで!」
「ふざけてなんかいないさ。君が感じてしまうところは、触らないようにするから。ほら、ちゃんと性感帯をみんなに知っておいてもらっておけば、トラブルも避けられるだろ?」
頭のてっぺんから、スーツの肩から二の腕の部分まで、イヤらしい手つきで触られた。来る日も来る日も私を苦しめた、あの忌まわしい掌の感触がフラッシュバックしてきた。もう我慢できずに立ち上がった。
「こういうことをされるのなら、もう、私、耐えられません。降ります!」
「そっかぁ。悪いことしたわね、笠谷さん。ごめんなさい。どうか、気を悪くしないで。でも、アシスタントがいないとワークショップも成り立ちませんし、仕方ないんで例のビデオ教材で、研修続けましょうか、兼頭さん」
鈴原主任が、ワザとらしくラップトップを操作し始めた。その意図は痛いほど分かる。例の動画をチラつかせて、脅しているのだ。拒めるものなら、拒んでみたら?どうなるか、分かるよね?そう言われているような気がした。私は、その場に立ち尽くした。
「ん?どうしたの?もう、帰っていいわよ。お疲れ様。あとは私たちに任せてくれたらいいから」
口調だけは優しかったけど、その瞳の奥には残酷な光が宿っていた。このまま、帰られるはずがないじゃないか。
「……やります」
「ん?何?なんて言ったの?」
「……やらせてください、アシスタント」
生贄にされる。見世物にされる。そうと分かっていながら、逃げ出すこともできない。焦りで、心臓が割れるほど高鳴る。額や首筋に汗が噴き出して、髪が張り付くのが不快だ。
私の身体の反応は、笹山に目ざとく指摘された。
「ふふ、やっぱり火照ってるなぁ。汗だくで、見てるこっちが暑苦しくなってくるじゃないか。摩耶君、あんまり暑いなら、上着は脱いでもいいんだぞ?」
脱いでもいい。といいながら、目ではさっさと脱げ、と圧を送ってくる。従うしか、なかった。
スーツのインナーに、ライトグレーの半袖カットソーを選んだことを心底悔やんだ。腋の下の汗染みが、一番目立つ色だ。せめて、真っ白なブラウスや、ストライプ柄のシャツにしていれば……
湿った腋や胸の膨らみの上に、遠慮のない視線が四方八方から降り注いでくる。思わず、両腕で隠してしまう。恥ずかしさのためにとっさに取ったポーズが、妙にエッチな雰囲気になったのは、自覚している。
「おいおい、なんだよ、そのヌードモデルみたいなポーズは」
「うっ……」
指摘されると、そのままにはしてられない。両腕を下ろしながら、身体が震える。産毛が逆立つ。カットソーを突き抜けて、彼らに裸を透視されているような、そんな錯覚を覚えた。
笹山に促されて、再びパイプイスに座らされた。
「さて、質問が途中だったよな。君が触られたらまずいことになっちゃうのは、どの辺なのかなぁ?」
「どこにも、一切、触らないでください……」
「おお、そうか、全身性感帯ってやつだな、君は!ふふ、そりゃあ身体も火照っちまうわけだ」
「違います!いい加減なこと言わないで」
「じゃあ一体、どこが性感帯なんだ?具体的に言ってくれないと、トラブルの元だぞ」
「……」
「何にも言わないってことは、どこ触っても平気ってことっしょ!ちょうどいいじゃん」
また坊主頭が、余計な発言をして、他の男子達を煽った。私は、挑発に乗ってしまった。
「む、胸は、ダメです。当たり前ですけど……それと、お尻とか……下半身は全部ダメです!」
「オーケー、オーケー!じゃ、その辺は絶対触らないようにするよ。君を困らせるようなことはしないから、安心したまえ、摩耶君」
私の肩や、二の腕に、笹山の手が添えられて、妖しく蠢いた。胸と下半身以外は触りたい放題なんだよな、とでも言うような手つきだ。芝居がかった口調が続く。
「さて、具合が悪そうな女性社員を見かけたら、どうやって接すればいいか、っていうテーマだったわけだが。それにしても、摩耶君の気分がすぐれないのはどうしてなんだろうなぁ?」
二の腕の外側を撫でていた手が、肘の部分で折り返して、内側に回ってさかのぼってくる。このまま進んでいけば、指が腋を掠める。私は、その手をやんわりと振り払った。
「……どこも、悪くありません。大丈夫ですから」
「諸君、何か思いつかないか?摩耶君が何に苦しんでいるのか?生理以外で」
「女の人の苦しみっていったら、やっぱあれじゃないですか。便秘とか?」
「そうか!そうに違いないな!どれ、擦ってあげよう」
レディーススーツのスカートの、ベルトの下の辺りに、笹山の手が伸びてきた。
「きゃっ!やめてください!何するんですか!」
反射的に上半身を折りたたむことで、手の動きを封じようとした。
「おいおい、どうしたんだ、そのいい反応は?もしかして、胸と下半身以外も、感じちゃうのか?」
「そうじゃなくって、う、うぅぅぅうっ……」
セクハラ男の手は、折りたたまれた私の上半身と下半身の間、お腹と腿に挟まれんがら、厚かましく居座り続けた。指先が妖しく蠢いて、私から反応を引き出そうとしている。
おへその下あたりの一帯は、以前この男に散々触られていた部位の一つだった。認めたくないけど、しつこく触られたせいで、そこが「弱く」なっていたのは、事実だった……
「認めろよ。お腹も感じますって。俺がせっかく開発してやった性感帯じゃないか」
私にだけ聞こえるように、耳元で囁いてきた。私は、黙ったまま、首を横に振り続けた。
「素直にならないと、こっちにも出張するぜ、いいのか?」
お腹の辺りを撫でていた笹山の指が、今度は下方向に降りてきて、スカートの上から、股の間を狙ってきた。
私の折り畳まれた上半身の陰に隠れて、指の動きは周りの男性社員の目には見えない。スカートの裾に、中指の先が引っかかる。このままでは、スカートの中にまで、指が……もう、避けられなかった。
「お、お腹も……感じやすいから、やめてください、お願いです」
「ははは、ダメじゃないか、性感帯は初めからちゃーんと正直に申告しないと。危うくセクハラ野郎にされちゃうところだったじゃないか」
笹山が言うと、男の子達は、手を叩いて喜んでいる。
しゃがみ込んで私の顔を覗き込んでいた笹山が、立ち上がり際に私の背中に手を当てたた。その瞬間だった。
「あああっ!」
つい、声が出てしまった。カットソーの生地越しに、笹山の指によって、ブラのホックが外されてしまった。
……私は、過去にも何度もこの悪戯の被害にあっていた。笹山は、手先が異様なほど器用で、服の上からでも簡単にホックを外してしまう。廊下ですれ違いざま。あるいは、席で電話対応をしている私の背後を横切る一瞬の間に。慌てた私が、それを止め直そうと、席を立って駆け足で廊下に向かう私の胸が、不自然に揺れるのを、スケベっぽい目で凝視された。
「急にそんな大きな声を出して、どうしたの、笠谷さん?」
鈴原主任が事務的な声で言った。被害を訴える言葉が、喉元まで出かかった。でも。周りの男子社員の視線が目に入ると、勇気がくじかれた。もはや誰も、このセクハラを咎める人なんて、この部屋の中にはいない。誰一人として。この女になら、何をしても許される。そんな空気感が、この部屋の中に充満している。
こんな状況だったから、今、私のカットソーの下で、ブラのホックが外れている、なんていうことが知られたら。きっと、事態はもっと悪くなる。
「……なんでも、ありません」