北斗物産、ジャカルタ支店。ビジネス街の中心部にそびえる、新築のオフィスビル。その三十三階フロアにある大会議室は今夜、現地社員の懇親パーティの会場となっていた。
立食形式のパーティ会場で、私はオレンジジュースの入ったグラスをもって、所在無く立ち尽くしていた。参加者は、私と鈴原を除いて、何故か全員が男性だった。男性社員達は、私に軽く挨拶をしては通り過ぎていった。…そして、少し距離を置いてから、チラチラと私の方に視線を向けてくる。現地語だろうか、内容は分からないけれど、何か卑猥なヒソヒソ話をしているような気がする。考え過ぎだろうか…
私は、今夜場違いなほどドレスアップさせられている。光沢のあるシルク生地、深紅のナイトドレス。というだけでは十分伝わらないだろう。
肩から、背中、腰骨の辺りまで、身体の後ろ側のほとんど全てが露出ししている。シルクの生地は腰の辺りで思いきり絞られて、お尻のシルエットがくっきり浮き出している。くるぶしくらいまでのロング丈はマーメイドの下半身のように身体に纏わりつく一方で、左脚の部分に、腰の付け根くらいまで届く深いスリットが入っている。
極めつけは、ホルターネック、と呼ばれるその裁断だった。身体の前側の生地が首の後ろで蝶結びに結わえられることで、辛うじてドレス全体が身体に引っかかっている。前側の生地は脇腹から首元にかけて鋭角に絞り込まれているので、途中を横切る乳房の左右両端が、収めようとしても、どうしてもはみ出してしまう。歩く度にゆさっ、ゆさっと揺れて、零れ落ちそうになるので、私は始終胸を布の中に押し込める必要があった。その挙動自体が、たまらなく恥ずかしい。
…ホテルの室内でそれを着せられた私は、狼狽えていた。
「どうして、私だけ、こんな格好で参加するのですか!変ですっ、こんなの」
鈴原も、ごくカジュアルなワンピースだったし、染谷も黒のポロシャツに白のトラウザーというラフな格好だった。私だけが、映画祭の女優か何かのように場違いに着飾っている。
ただの社内の懇親会で、場違いにもこんなに肌を露出させられて、不安しかない。それも、周りの現地社員は添田さんの部下同然のスタッフたちだ。日本から来た私が、添田さんの恋人だと知られたら?添田さんの威厳にも差し障るじゃないか。いたたまれなくなって、私は終始ソワソワとしている。早く、この時間が過ぎ去ってくれないかと願いながら。
会場の奥に設置された巨大なモニターの電源が入れられた。ネクタイを締めた、恰幅のいい日本人の中年男性がカメラ目線で何かを語りかけている。日本語でも、英語でもない、おそらくインドネシア語だろう。
「あれがここの支店長の飯塚さんだよ」
「そ、そうですか。何を、おっしゃっているのでしょう」
「さぁ、俺もここの言葉は知らないからな。まあ、労いの言葉じゃないか。ウィルスに負けずに会社を支えてくれてありがとう、とかそんなところだろう」
少しの間、視線を浴びずに済んだ。できることなら、このまま延々とスピーチを続けてほしかった。私は緊張がほどけて、深いため息をついた。すると、
「△○※✕✕✕△※○●〇、ミスターソエダ、◇□●×★☆」
理解のできない言葉の合間に、はっきりと添田さんの名前だけが耳に入ってきて、はっとさせられた。ふと、周りを見遣ると、会場の男性全員が私の方を凝視しているじゃないか。
「えっ、あの、何か…」
その瞬間。首の回りの空気が、「ふわっ」と動くのを感じた。首の後ろの結び目が解かれ、布地が舞うことによって起こされた風だった。そうと気付いた時にはもう、ドレスの全体がそのまま私の身体の上を、スル、スルスルスルって、衣擦れの音を立てながら、滑り落ちていく最中だった。
「いっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
九名か、十名ほどいる男性社員の前で、今私は、丸裸で立ち尽くしている。パニック状態になった私は、手にしていたグラスも放り投げて、両手で身体を覆った。グラスが床で砕ける音がする。
足元に丸まったドレスを引っ張り上げようとした時。染谷の革靴で、それが踏みつけられた。
「何するんですか、どいて、どいてくださいっ!」
「バカ、ガラスの破片が中に入り込んでいるだろう。このまま着たら全身傷だらけになっちまうぜ」
染谷の靴の下でガリガリ、ガリガリとガラスが砕ける音が聞こえる。
「うぅぅぅ、そんな、どうしたら…」
どうにか視線をかわしたくて、私はしゃがみ込んだ。傍らでは、鈴原が笑い転げている。背後から私のドレスの紐を解いたのは、間違いなくこの女だ。許せない。私は、顔を真っ赤にして、首を捩じって鈴原を睨みつけた。
「なんてことをするんですか!もう、許せない!」
「はいはい、分かった、分かった。添田君のチームメンバーの前だからって恰好つけなくたていいのよ。お前がドMだってことはすぐばれるんだから」
裸の首筋に、冷たい金属の感触がした。それは、犬の首輪だった。リードは、鈴原の手に握られている。
私は、事態の深刻さに、蒼ざめた。全裸で、拘束されて、男達に囲まれている。無事で済むと考える方が無理だった。逃げなくては、今すぐに、ここから。私は、ハイヒールのまま、勢いよく駆け出した。咄嗟の行動だったからか、リードの先は鈴原の手元から滑り落ちた。私は、床にリードを引きずったまま、会議室の扉に体当たりして、パーティ会場を脱出した。