予告された「刑期」の二週間のうち、やっと初めの一週間が終わる、その金曜日の夕方。業界の会合で出かける、という橘社長が唐突に切り出した。
「日曜日から、俺と優奈はジャカルタに飛ぶ。投資家にプロジェクトの進捗の説明と、接待をしないといけないからな」
「ジャカルタ、ですか」
「ああ、添田のいる、ジャカルタだ。摩耶君も、手伝いにくるか」
「は、はい、私も、行きたいです」
私は、反射的に答えていた。その時の私は、ただ添田さんに会いたい一心だった。無惨な仕打ちが待ち受けているなんて、後から考えたら、すぐに分かりそうなものだけど…。
新型ウィルスの影響で、航空各社が大幅に減便しているせいで、成田空港、第一ターミナルは見たことがないほど静まり返っていた。誰も並んでいる人のいない出国のゲートを抜けると鈴原が待っていた。私の顔を見るなり、悪態をついてくる。
「ちぇっ、どうして私があなたと一緒にエコノミーに乗らないといけないのよ」
感染対策で、社長と優奈ちゃんの乗るビジネスクラスは人数制限が厳しく、鈴原はそこからはじき出されてしまった、ということらしい。私の方こそ、この悪魔みたいな女と六時間も機内で過ごさないといけない。そう思うと、眩暈がしてくる。
「あなたのその安っぽくてダサいスーツ見てると気分悪くなってくるのよね。ねぇ、せっかく南国に行くんだからさぁ、ちょっと冒険してみなよ、ほらこれに着替えなさい」
コンパクトなスーツケースから、取り出した何かを、私に突きつけてきた。スポーツブラと、ボクサーショーツの上下だった。
「こ、これって、インナー、ですよね、まさかこれだけなんて…」
鈴原が舌打ちする。私の目の前で開いた両手のなかに、たくさんの豆クリップが乗っかっていた。また、これでイジメるぞ、と言いたいのだろう。抵抗したらするだけ、ひどい結果になることは、十分思い知らされていた。
私は、鈴原がさらに機嫌を損ねないうちに済ましてしまおうと、受け取った上下のインナーを持ってトイレに向かった。
「ねぇ、どこいくのよ。もう時間がないわ。そこの裏で済ましなさいよ」
鈴原は、シャッターの閉まった高級ブランド店の、その裏のスペースを指さした。人通りは、少なく、死角にはなっているとはいえ、清掃のスタッフや乗務員などが行き来するこの公共の空間で、着替えをするなんて、正気とは思えない。
「あの、お店の裏で、ですか…い、いくらなんでも、無茶です。せめて、トイレに」
「ああ、また口答えするんだ。ムカついた。今ここで脱ぎなさいよ、ほら」
「う、うぅ、分かりました、言うとおりにしますから、ここでは…」
鈴原に膝で小突かれながら、私はその閉まった店舗の裏に向かって歩いた。とにかくもう、素早く済ませるしかない。
「あの、その着替えを、ください」
「全部脱いで、素っ裸になったら渡してあげる」
「え、ええっ⁉」
ここで、全裸になれと言うの?上はともかく、下の方は、スカートを履いたまま履き替えようと思っていた私はショックで蒼ざめ、立ち尽くしていた。
「あのさぁ、忘れたの?あなたが最近どれくらい奔放に遊んでるか、添田君に密告(チク)っちゃってもいいんだけど?」
鈴原は、ワザとらしく、スマートフォンの音量を最大にしてから、私と優奈ちゃん、そして橘社長のセックスシーンを切り取った動画を再生し始めた。そうやって脅されたら、抵抗できない。今の私は、結局、何でも言いなりになるしかない。観念して、スカートのホックに手をかけた。
「脱ぎましたから、早く、それを…」
上下の下着も、ストッキングも全部脱ぎ捨てたのに、鈴原は着替えをなかなか渡してくれない。指でショーツをクルクルと回して、私の焦燥感を煽る。まるで、誰かが通りかかるその瞬間を待っているような態度に、私は我慢の限界を迎えた。
「約束が違います!いい加減に…」
大きな声を出したその瞬間。ふと、背後に気配を感じた。
「あれ、何してるの、そこの君」
後ろから男の人の声が聞こえて、私はパニックに陥った。しゃがみ込んで頭を抱えていると、鈴原が足元の床にブラトップとボクサーショーツの上下を投げ捨てた。慌ててそれを回収しても、もうそれを着用している余裕もない。裸の背中やお尻に、男性の舐めるような視線が這わされても、私はじっとしゃがんだまま、両腕で身体を抱きかかえるようにして、固くなっていることしかできない。
「ははは、染谷君、遅かったじゃない、今着いたの?じゃ、そろそろ搭乗時間だから、いこっか」
えっ…、知り合い?誰、誰なの?
染谷、と呼ばれたその男性は、秘書室所属の若手社員だった。歳は、添田さんより二つか三つくらい若いくらいだから、多分二十八か九。長身で、筋肉質な身体付きに、甘いマスクをしている。ただでさえ、容姿の優れた男性に見つめられるのは苦手なのに、裸の背中やお尻を見られて、私は全身を火が付いたように真っ赤にしていた。
ようやく着ることのできた上下のブラとショーツのセットは、スポーツジムの中なんかだったらともかく、これから飛行機に乗るファッションとしては、あまりに露骨だった。それに、私の左右の男女はいたって普通のビジネススーツを着ている。私一人が、非常識な恰好をさせられているから、余計に羞恥心が掻き立てられる。
「はい、バッグ、お願いね」
私は、自分の分も含めて、三人分の荷物を運ばされた。キャリーバッグや、パソコン用のバッグ等をふらつきながら運ぶわたしを置いて、二人はスタスタと先を行ってしまう。
「Hi, may I help you, little girl?」
後ろから、白人男性二人に声をかけられた。大荷物で苦労している私に、親切心で声をかけてくれた。そう思ったけれど…。すぐに違和感を感じた。
男二人の視線が、胸や股間にじっとりと這う。それに、肩にかかったバッグのストラップを手に取る仕草の、そのどさくさに紛れて、手の平が腰やお尻に触れた。
「No, I am ok, leave me alone!」
私は嫌悪感から、勢いよくその場を駆け出した。その勢いで、バッグの角が男の腿に思いっきりぶつかった。
「Hey, Bitch, wait!」
怒鳴りたてる男性から逃れようと、私は必死で走った。その様子を、遠くから鈴原が指を指して笑っている。惨めで、涙が頬を伝った。後から思えば、この程度のことは、これから待ち受けている仕打ちに比べれば、大したことなかったんだけど…