目覚めると、見知らぬ天井。身体を起こすと、一度も来たことがなかった、会社の医務室のようだ。
「お目覚めね。大騒ぎになっているわよ」
傍らに、腕組みした西村が冷笑を浮かべて立っていた。悪夢は、終わっていないのだ。
聞いてもいないのに、西村がことの成り行きを説明し始めた。
幹部社員のPCを盗み見ようとした派遣社員として、私はこれから事情聴取を受けることになっている。心臓が破裂するほど高まり、腋の下にイヤな汗が噴き出してきた。
蒼ざめている私に、西村がさらに畳みかけてきた。
「あなたが目覚めたら、役員会議室に連れてくるようにって言われてるのよ。産業スパイの疑いがあるから、徹底的に取り調べるんだって」
偉い人達の前で、私が何をしていたか、白状させられる。下手をすると、警察に突き出させるというのだ。私は、ガクガクと震え上がった。逮捕されるか、痴態を収められたビデオの存在に言及するか、二つに一つ…。もう一度気絶してしまいたかった。
「ねぇ、私にだけ教えてよ、あなた、一体課長のPCで何しようとしていたの?」
この女が、助けになってくれるはずがなかった。でも、一人で抱えているのは、苦しすぎた。正常な判断力は失われて、私は洗いざらい話してしまった。
「えぇぇぇ!しちゃったんだって?笹山課長と?で、それをビデオに撮られたからって?」
「は、はい…」
「で、どうするの?それ、言っちゃうの?」
「ああ、それを言ったら、見られて、しまいます」
「そりゃぁ仕方ないでしょう。身の潔白を証明しなきゃ、あなた産業スパイってことになるわよ。」
「わ、私、添田さんに、添田さんに電話します!」
もう、私一人で抱えられる状況じゃない。添田さんに打ち明けるしかない。それしか考えられなかった。
私は、身の回りを見回した、バッグもなく、ポケットにもスマホは見当たらない。
「ああ、荷物は全部没収したわ。会社の機密を持ち出されている危険があるからね。安全が確認されるまでは返せないわね」
「そんな!お願いです、返して、返してください!」
「私に言われても知らないよ。ほら、そろそろ行くわよ。橘社長はじめ、役員連中がお待ちかねだからねぇ、ふふふ」
四十八階。最上階。役員会議室。私のような派遣社員が決して訪れるはずのない場所。
楕円形のガラス壁。どんよりと曇った東京の街を背にして、お偉方達が私の前、細長い会議テーブルを挟んで居並ぶ。
左前方に、人事部長、兼執行役員の小平。右前方には情シス部長の堂島。ずいぶん離れて、一番右端に、今朝血相を変えて駆け寄ってきた、大隈というITの男性社員。そして、私の真ん前に座っているのが、橘社長だ。目をとじ、腕を組んでいる。どことなく空恐ろしい雰囲気で、気圧されそうになる。
私は、裁きにかけられようとしている。私の左隣には、笹山課長が掛けているが、弁護人にはなってくれるはずもないだろう。
「まず、事実確認から行こうか。今朝、ここにいる派遣の女子社員が、一課の課長である笹山のPCに不正にアクセスしようとしているところを、えーっと、ITの、そこの君が目撃した、そうだな?」
横柄な態度で小平部長が顎をしゃくる。話を振られた大隈という男性は、緊張のせいか大汗をかきながら、今朝のいきさつを説明した。
約半数の社員がリモートワークをする中で、従来以上にセキュリティリスクが高まっている。彼の所属しているチームは、二十四時間体制のシフト制で社内ネットワークの監視をしているという。深夜から早朝のシフトに当たっていたところ、一課の端末に異常の警報が発生するのに気づいて、デスクに飛んできた。持ち主である笹山課長の入館記録がない、早朝の時間帯に、端末が起動されようとしている。それも、誤ったパスワードが複数回試行された。それらすべてが、警報を発するアルゴリズムに引っ掛かったのだ。そうして急いで駆け付けた大隈は、フロアに私の姿を見つけた…。
「結局アクセスは失敗に終わって強制シャットダウンになった、そうだな?問題は、この派遣社員が、何を企んでいたのか、ということだな。で、君、笹山のPCを使って、いったい何をするつもりだったのかね?」
「…」
私は、態度を決めかねていた。西村に手を引かれて、この部屋に向かう途中、何もかも暴露してしまおう、と思っていた。
だけど。自分は笹山課長に騙されてレイプされた、そしてそれを盗撮された、そんなことをこの空間で、私以外に男性しかいないこの会議室で打ち明けるのは、勇気が必要だった。結局黙り込んで下を向いてしまった。
「やれやれ、黙秘か。笹山、お前何か心当たりはないのか?」
「さあな、全く見当もつかんね」
(知ったのは随分後になってからのことだが、笹山課長と小平部長は、同期入社だった。出世の面では、小平部長に大きく差をつけられていることへの、フラストレーションだろうか、笹山課長の態度は随分ぶっきらぼうだった)
「そもそもこの子は添田の専属のアシスタントだったからなぁ。俺は直接仕事で絡むこともほとんどなかったから、実のところこの子のことはよく知らないんだ」
いったい、どの口が言うのか。握り締めた拳に血が滲む。
「ちっ、無責任なやつだ。じゃあ今すぐ添田に電話をかけて、説明させろ!」
「それはどうかと思うぞ。この派遣の女子一人で何か企てるとはとても思えない。添田の指示で何かよからぬことをやってる可能性が大いにあるだろ?下手に引き合わせるとうまく口裏を合わせられるかもしれない、秘密の合言葉かなにか使ってな」
「な、何を言うんですか、そんなはずはありません!」
この期に及んで、この男は添田さんを陥れようとしている。思わず叫んでしまった。
「見ろよ、添田の名前を聞いたとたんにこの取り乱しようだ。何か匂うと思わないか?」
「その点については、私の方から少しご報告を」
いつの間にか私の斜め後ろに、西村の姿があった。
「参考になるか分かりませんが、共有いたします。こちらの、笠谷摩耶さんですが、ここに来る前、どうしても添田さんと話がしたいから携帯電話を返せと喚きちらしておりました。かなり、取り乱した様子でしたわ」
私と添田さんを更なる窮地に追い込むような証言だった。小平部長はわざとらしいため息をつきながら言う。
「なるほど。そうか、これはもう添田が裏で何かやっている、ということでほぼ間違いないだろうな。大方、競業会社か、あるいは産油国政府に売り渡す情報でも漁ろうとしたんだろう。出張は切り上げさせて、成田空港で身柄を確保する手配をかけますよ。産業スパイの容疑なら、空港警察も動いてくれるでしょう、いいですね、橘社長?」
「まって、待ってください!そんな話、デタラメです!添田さんは、ほんとに、本当に何にも関係ないんです!」
「ほう、それじゃあ君一人の意志でやったのかね」
「そうです、全部言います、正直に話しますから聞いてください!」
事態が急転して、もう一刻の猶予もなかった。このままでは、添田さんが犯罪者に仕立て上げられてしまう。そんなこと、絶対にダメだ。
「私は、ここにいる、笹山課長に、ホテルに連れ込まれて、レイプされました。それを盗撮までされて…その映像を、一課のフォルダに保存したといって、脅かされていたんです。動画のファイルは、私の権限では削除できなくて…、だからどうしても課長のPCを使う必要があったんです。信じてください、私は、被害者です!うぅぅぅ…」
この男の犯罪を、ついに告発した。言い終えると感情が高ぶって涙が出てきた。
だけど…よほど狼狽しているだろうと思って笹山課長の顔を見遣ると、やけに涼しい顔をしている。いや、何なら薄笑いまで浮かべているじゃないか。
「やれやれ、言うに事欠いてとんでもない創作をぶち上げたもんだ」
「ウソなんかじゃありません、信じてください!」
目の前にいる橘社長に訴えたけどが、固く目を閉じ、腕組みを崩しもせず、反応がない。
訝しげな眼差しを向けながら、小平部長が口を開いた。
「君、ホテルに連れ込まれたといったね?そもそも何故、この笹山とホテルなんかに入ったのかね?」
「…それは、脅迫されていたからです」
「脅迫?いったい何のことで?」
「私と、添田さんとの関係のことで…」
「ほぅ。その関係とは?」
私は、つっかえながらも、ここまでのいきさつを包み隠さず話していった。在宅勤務中の添田さんの部屋で、男女の関係になったこと。それを、西村や前島、そして笹山課長に嗅ぎつけられて酷い目に合わされたこと…。
私の罪といえば、勤務時間中に添田さんを誘惑してしまったこと、それだけじゃないか。たったそれだけのことで、社内の男性達の見世物にされて、強姦されて、最後には犯罪者扱いされるなんて、絶対に受け容れられない。私は泣き叫んだ。
「彼女はこう言っていますが、笹山さん、何か反論はありますか?」
今まで黙っていた情シスの堂島課長が口を開いた。堂島課長は、小平部長や笹山課長より三つほど若い。四十代前半くらいだろうか。誠実そうな雰囲気のする人だ。
「荒唐無稽な作り話で反論する気にもならんよ、ばかばかしい」
「では、アクセスログを見てみましょう。そうすれば、誰が本当のことを言っているか、一目瞭然ですから。大隈君、調べてみてくれるか?」
上司の指示を受けて、大隈は手元のラップトップを叩いた。
「…一課のフォルダにはそれらしいファイルは、何も、無いようです」
「無い?直近で保存されたり、消された履歴は?」
堂島課長が苛立ちながら言う。
「…ありません、何も、見つかりません」
堂島課長が立ち上がり、大隈のラップトップを覗き込む。信じられない、といった表情を浮かべている。…そんな、バカな。
「…ちゃんと、ちゃんと調べてください!たしかに、今朝、この目で見たんですから、ウソじゃありません!」
食い下がる私を遮るように、笹山課長が両手をパン、パンと叩いた。
「さぁ、もういいだろう?俺の潔白は証明されたってことで。…橘社長、これ以上は時間の無駄ですよ。添田の身柄を抑えましょう。ジャカルタの支店長に私から電話しますよ、奴を帰国させます。いいですね?」
橘社長は目を開き、小さく「ああ、そうだな」とだけ呟いて、ひじ掛けに手をかけ、立ち上がろうしている。
もう、お終いだ…。添田さんは、私と出会ったばっかりに、人生を棒に振ってしまう。目の前が、真っ黒になった。
「何してるの、このままじゃあ添田君が逮捕されちゃうじゃない。ほら、さっき教えてあげた話、しなさいよ」
西村が囁きかけてきた。『さっき教えてあげた話』…?
…ああ、そうだった、ここにたどり着くまでのエレベーターで、西村に入れ知恵をされていたのだった。その時は、完全に拒絶したけれど、もう私には、他に選択肢がなかった。
「私が、私が、ウソをついていました。今度こそ、本当のことを話しますからどうかお待ちください、橘社長!」
もう会議室の出口の扉の方へ向かって歩き始めた社長の、その背中に向かって叫んだ。社長は、立ち止まってこちらを振り向いた。私は、西村から吹き込まれた作り話を、ポツリポツリ吐き出していった。
「私は…、ホストクラブに嵌って、借金がかさんで、追い詰められていました。それで、デートアプリで知り合った、複数の男性と、その、不適切なことを、して、金銭の、援助を受けていました。いわゆる、その、ぱっ、パパ活のような、形で…。その中の、一人の男性から、ホテルで乱暴されて、その様子を盗撮されてしまい、ました。…その男性とは、それっきり、縁を切ろうとしたのですが、私が北斗物産で勤めていることがバレてしまって。その人が、たまたま、笹山課長とも、名刺交換をしたことがあると言いだして。私は、二度と会うつもりはないと、拒んだのですが、腹いせに課長のメールアドレスに動画を送ったって、昨夜、言われて…。私、居ても立っても居られなくなって、今朝、早朝のオフィスに忍び込んだんです、こっそり、課長のメールを、削除してしまおうと思って…」
目の前の席に座っている男達は、唖然とした表情で私を見つめていた。ただ一人、笹山課長だけが高笑いを響かせている。
「ははははっ、傑作だなこりゃ。危うく優秀な部下を牢屋にぶち込むところだったぜ。それにしても、一見真面目そうなこんな娘が、援助交際?パパ活?信じられんな、全く。でもまあ諜報活動よりはよっぽどマシだったな、くくくくっ」
思いきりこの男を睨みつけたかったけど、最低な女を演じさせられているこの状況では、それも叶わない。自尊心をくしゃくしゃに踏みつぶすことで、ようやく立っていられた。
「でも課長、そういえば思い当たるところありますよ。最近の笠谷さんの制服、ご覧になってなったでしょう?やたらとスカート丈を短くして、勝手にスリットまで入れて。あれって、もしかして社内でパパを探す目的だったんじゃないでしょうか?」
私を貶めるフィクションに、西村が信憑性のスパイスを加える。そして、笹山課長が、私に最後の止めをさした。
「そうだ、笠谷君のパパが俺に送ってくれたっていう、その映像、探してみようじゃないか。見覚えはないが、どうせ迷惑メールフォルダにでも入っているだろう。どれどれ」
「そんな!ここでは、やめて、やめてください…」
「おう、あったあった。たしかに、見覚えのないアドレスから怪しい動画ファイルが届いてるぞ。おい、大隈。USBケーブルを寄こせ。問題の映像をみんなで検証しようじゃないか」
「あぁ、ひどい、あんまりです、見ないで、見ないでください!」
盛大にアクメに達して、火照った表情を、会議室の大画面で大写しにされる。イヤらしい声を上げて、身震いする様子を、男性達に見られている。恥ずかしい映像の再生を止めてほしいと、泣きながらお願いしたけれど、一向に聞き入れられなかった。味方だと思っていた堂島課長まで、眼を見開いて、画面の奥の私のセックスを凝視している。もう何も見たくない、聞きたくない。このまま、消えてなくなりたい…。