その後も、私は掃除だ、書類整理だなんだといって、フロア内を歩きまわらされた。初めはチラチラと盗み見るだけだった男性社員達も、何度も遭遇する度に、遠慮なく舐めまわすような視線を浴びせてくるようになった。露出狂、見せたがり、あるいは会社が用意したお色気の福利厚生だろう、などと耳を塞ぎたくなるような軽口まで聞こえてくる。心が抉られる。
夕方になってようやく掃除から解放された私は、自席に戻って、メールの返信などを進めた。ほとんど丸一日離席していたせいで、メールは山のように溜まっている。でも残業などしたくない。早くこの恥知らずな制服を脱ぎ捨てて、この場から立ち去りたい。全て終わらせて、定時に帰るんだ。必死の形相でタイピングをする私に、笹山課長がニヤケ顔で私の席に近づいてきた。なんで、こんな時に、ああ、来ないで…。
「やあ、忙しそうだね。今日も大活躍だったみたいじゃないか」
「…なんの話でしょう」
「とぼけなくたっていい。フロア中を掃除して回ってくれたそうじゃないか。すごい評判になってるぞ」
「…」
すごい評判、の部分のねちっこいアクセントに、思わず眉間に皺がよった。私は必死で無視を決め込んだ。このセクハラ課長は、座っている私の上方から露骨に胸元を覗きこみながら、聞こえよがしに、「おう、黒のブラか。関心関心」などといって、私を揶揄うのだ。もう、我慢の限界。
「あの、なにか御用でしょうか。急いで片付けないといけない問い合わせがあるのですが」
「ああ、すまんすまん。無駄話をしにきたんじゃなかったんだ。実は君の評判の話だけどねぇ、いい話だけじゃないみたいだねぇ」
「えっ…」
「いや、君と添田の関係についてなんだがね」
「ど、どういう意味でしょう」
鼓動が聞こえてきそうな程に心拍数が高まる。
「ん?説明した方がいいのかね?とぼけないほうが身のためだと思うが?」
笹山が、無造作にスマートフォンを私のデスクの上に置いた。ほんの少し、微かに聞こえるか、聞こえないかの小さな音量。だがそれは、添田さんと私のあの時のやりとりに間違いなかった。
「それを、どこで…?」
「さぁな、見慣れないアドレスから匿名で送られてきたのさ」
白々しいウソだ。西村と前島から共有されたに決まっている。
「一度君とはじっくりこの件で話を聞かないといけないと思ってねぇ」
「…何の話をしろとおっしゃるのですか」
「決まっているだろう。在宅勤務中とはいえ、仕事を放り出してセックスに興じるなど、うちのような伝統ある会社では許されない。添田はエース社員だったがなぁ、君が色仕掛けですっかりダメにしてしまったんじゃないか?」
「…ち、ちがうんです」
「ほう、違う?じゃああいつに無理やり犯されたのか?それこそ一大事だぞ!」
「ああ、それは、絶対に違います!」
この男は、西村と前島の手口をそっくりそのまま真似て、私を追い詰めるつもりだ。悔しい、悔しすぎる…。
「やれやれ、さっぱり話が見えないなぁ。それに職場で話すにはあまりに刺激が強い話題だ。他の奴らに聞かれたらまずいぞ。君、この後時間あるかね?ふふ、あるよなぁ?」
私は、頷くしかなかった。
「私はもう少ししたら上がるから、君は先に出て、ここの入り口で待ってくれたまえ。ゆっくり話ができるところだから」
笹山課長は真っ黒な名刺を私のデスクにそっと添えて、立ち去った。
名刺には、
コンセプトホテル 鶯谷 蜘蛛巣城
と書かれてあった。