翌朝は、言われたとおり、早朝の六時から出社して、ロッカールーム内の換気と清掃だった。仄かに香る自らの性臭によって、昨夜の悪夢が、現実のものであったことが嫌でも意識させられる。
昨夜の帰り際。添田さんに連絡しようかと、幾度となくスマホを手にしては、断念した。彼がこの事態を知ったら、一体どうなるのだろう?責任を取って辞職を申し出る可能性もある。あるいは逆に自分の身に迫る危機から逃れるために、私は裏切られるんじゃないか。
どんな展開になるにせよ、今の私にはとても耐えられそうもない…。
西村と前島の気が済むまで、私一人が苛められて、丸く収まるなら…。雑巾で拭き上げた床に、ぽつり、ぽつりと涙が落ちた。
「こ、こんな服で…」
誰もいないロッカールームで、西村と前島の二人から与えられた「制服」に身を包んだ私は、姿見の前で一人で呟いてしまう。外観は北斗物産の一般職及び派遣社員に支給されている制服(白いブラウスに黒地、ピンストライプのベストとスカート)に似せているが、細部が全く異なっている。
スカートの丈は、お尻が何とか隠れるだけの超ミニ。長さだけじゃない。本来の私のサイズより一つか二つ小さいので、腰の部分のホックを止めるのも一苦労だ。
素材にしても、ウール混紡の、本来の制服とは異なり、光沢のあるポリエステルで、ピッタリと、お尻に小さな布地が張り付いて、皺ひとつない。シルエットに関してだけいえば、私のヒップは裸同然だ…。
上半身のブラウスにしても、制服にするには過剰なほどに「透け感」のある素材で、ブラの色や柄が、うっすらと浮かんでいる…。
慌ててベストで身体を隠そうとする私は、更なるショックに襲われた。
それは、タキシードの下に着るような、U字型に深くえぐれているタイプのもので(ちょうど、カジノの女性ディーラーが着こなすような種類のベスト、といえば分かるだろうか)、左右の胸の膨らみを逆に強調するように裁断されている。
イヤな汗が全身から噴き出して、膝がガクガクと震える。そのうち、背後の扉が開く音が聞こえて、全身が強張った。振り返ると、悪意の塊のような笑みを私に向ける二人の女が立っていた。
「ふふ、偉いわ。ちゃんと言われたとおり早出してきたのね。それにしても、くくく、とっても似合ってるじゃない、その制服」
「でもぉ、先輩、このむっちむちのお尻が強調されすぎてて、なんか見てるこっちが冷や冷やしてきちゃいません?」
「ふふ、そうねぇ、サイズ間違っちゃたわね。こんなに肉付きがいいとはちょっと思わなかったら、仕方ないわよね」
「…こんなの、あんまりです…」
「イヤならこのまま帰って、辞めちゃえば?あなたと添田君の事情は私から責任持って課長と人事部にしっかり説明しておいてあげるから!」
「…そ、それは…」
口答えしても、無駄なんだ。私の人生は、(いや添田さんのキャリアは、というべきだ)いまやこの女二人の気分一つで、台無しにされてしまう。そのことが、痛いほど思い知らされて、私は俯いたまま下唇を噛みしめた。
震える足取りで、自分のデスクへ向かう。道のりが、いつになく遠く感じられる。
(ああ、こんな姿を、添田さんが見たら…)
更衣室でほとんど泣き出しそうになりながら、ドアの前で逡巡していたのだけれど、西村と前島に小突かれて、強引にフロアに押し出された。始業時間より三十分ほど早く、私はデスクにたどり着いた。添田さんの背中は…そこにはなかった。職場でこんなイヤらしい衣装を纏っている姿を見られる。何があったのかと、問い詰められる。その瞬間が少しだけ先延ばしされて、ふっと全身の緊張が緩む。
でも、いつもの彼なら、もうとっくに出勤しているはずの時間だけど、今日に限って、どうしてだろう?そう思った矢先、スマホの着信音が鳴った。
「摩耶?」
「う、うん…」
「あれ、電車かなと思ったんだけど」
「えっと、今日はもう出社してます」
「そっか、ずいぶん早いね。あの、昨日急に決まったんだけど、出張に行くことになった。インドネシア。今、空港にいる」
「え!…どうして…」
「ウイルスのせいで、退職者が続出してたり、無断欠勤者も出ててね。まともに事務所が機能してない。行って、サポートしてあげないと、残ってくれてるメンバーも疲弊してるから」
「…そうなんですか…」
「独りにさせてごめん」
「いえ…、添田さん、絶対、無事で帰ってきて…」
「うん。ありがとう。そろそろ、フライトの時間だから、行くね。また、着いたら連絡する」
どうして添田さんが、私の添田さんが、伝染病で危険なこの時期に海外に行かないといけないの…気づけば、頬を涙が伝っていた。
「笹山課長。添田主任ですが、今日から出張ということで間違いないですよね。派遣の笠谷さんですが、どうしましょうか?可能であれば、私と前島さんの補佐をしてもらいたいんですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、そうだなぁ。添田がいないと、彼女もあまりやることがないだろうから、いいんじゃないか。君たちに任せるよ」
気が付けば、フロアには何人かの社員が出勤してきており、着いたばかりの笹山課長に西村が話しかけているのが聞こえる。私の意識は、再び自分の置かれている境遇へと向けられた。
添田さんのいないこの空間で、私は西村と前島の管理下に置かれるらしい。笹山課長の承諾を得た二人が、こちらを振り返るのが目に入った。覚悟しておけ、とでもいうように意地の悪い笑みを浮かべている…。
「じゃ、ここにある資料の束、全部スキャンして、そのあとはシュレッダーしておいて頂戴。ずいぶん溜まってるから、時間かかりそうねぇ」
「はい…分かりました」
「でも、せんぱぁい、こんな大きなお尻見せられたら、男性社員たちの目の毒じゃないですかぁ?お触りしたくなっちゃいますよぉ」
前島が不必要に大きな声で煽るように言いながら、私のお尻を撫でさすってくる。それを手で遮ろうとすると、今度は思いきり平手で叩き始めた。パシン、パシンと乾いた音がオフィスに響く。
「やめて、もう、お願いですから…」
「反抗したらぁ、お尻叩きの刑だかんね。よーく覚えておくこと。く、くっ、くくく」
既に、何人かの男性社員は、私の衣服の異常に気が付いているようで、チラチラと視線をこちらに向け始めている。騒ぎを起こせば、それだけ注目を集めてしまう。私は、消え入りそうなほど小さな声で許しを請うことしかできない。
フロアの一角。複合機の前に段ボール箱が三つ平置きされている。中を開ければ、雑多な資料がまとまりなく詰め込まれている。中には十年近く前の資料まであり、本当にスキャナで保存する必要があるとは、到底思えないものもあった。
この挑発的な衣装で、人目につく場所に居させて、辱める。それがあの女二人の狙いなのだ。そうに決まってる。悔しくて、涙が出そうになるのを堪えながら、私は段ボール箱から書類を取り出そうと、しゃがみ込んだ。
(ああ、ダメだ…スカートが……)
短すぎるこのスカートでしゃがみこめば、端の方からめくり上がって、中が覗けてしまう。仕方なく、前屈みになりながら箱の中身に手を伸ばすのだけど、そうすると今度はお尻を思いきり突きだすような姿勢になってしまう。でも、どうしようもない。
(早く、終わらせるしかない…)
箱から書類を取り出し、複合機のスキャナにかける。単調な作業だけど、量が多すぎて、一向に進まない。中にはかっちりと製本されている資料もあるから、一ページずつ操作をしないといけないこともある。ようやくひと箱分終わる頃には、もう一時間半は経過していた。背後から、西村と前島の二人が嫌味を言いにやってきた。
「あら、まだそんなだけしか進んでいないの?トロいわねぇ、ほんと」
「…す、すみません…」
「ふふ、先輩、この子、もったいぶって見せつけてるんですよ、きっと。ほら、あの人だかり、見てくださいよぉ」
「えっ、い、イヤ、そんな!」
振り返れば、背後にあるガラス張りの喫煙室から、男性社員達のニヤけ顔が四つ、いや五つも目に入った。
「呆れたわぁ。感染防止対策で喫煙室は一人ずつ利用って決まってるのに、節操がないわね。でも、男ってこういうムチムチのお尻がほんとに好きなのよねぇ」
西村の指が、私のお尻を思いきり握りしめた。お尻の肉に十本の指が思いきり食い込む。
「いぃぃぃ、やめて、おねがいですから!み、見られてるんですっ!」
「おやおや、忘れっぽいのね。さっき愛実が言ったこと、もう忘れちゃったの?」
「くっ…」
「どうせだったら、スカートまくり上げて直接ひっぱたいちゃいましょうよ」
「そ、そんな、おねがいだから、やめて、叩くのは…」
オフィスの真ん中で、剥き出しにされたお尻を叩かれる…想像するだけで、気絶してしまいそうだ。
「お仕置きが嫌なら、ちゃんと謝罪しないといけないわよねぇ?」
「…ど、どうして、私が、ひぃ…」
西村の手が、威嚇するように振り上げられて、私は震え上がった。西村と前島の体が、喫煙室の男性社員達の視線を遮ってくれてはいるが、こんな風にオーバーアクションをされれば、何か異様なことが起きていることは、簡単に察知されてしまう…この公の空間で、折檻される。そのことが他の社員にまで知れ渡る。…恐怖のせいか、羞恥心のせいか。謝罪の言葉が口をついて出てきた。
「ご、ごめんなさい。反抗的な態度を取ったことは謝ります、だから、だから叩くのは…」
「ふん、まあいいわ。この先も、お仕置きの機会はたくさんありそうだし、楽しみは後に残しておくことにするわ」
「ええー、せんぱいぃ、見逃しちゃうんですかぁ?あーぁ、つまんないなぁ、ちぇ」
不満げな前島の指が、私のお尻のお肉を、マイクロミニのスカート越しに思いきり抓りあげた。私は、身を強張らせ、手に持った書類の束を胸の前できつく抱きしめながら、じっと嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。
