[あらすじ]
私の名前は、笠谷摩耶。派遣社員。派遣先の会社は例の新型ウィルス感染爆発の影響で全館閉鎖。契約の都合で、在宅勤務も認められず、一時休業状態に。ひそかに好意を寄せる男性社員から、自宅で仕事を手伝ってほしい、と言われてから、私の人生は大きく変わってしまった。

凌辱専業作家が描く、女性一人称作品。「拗らせ女子」が語る、甘く、切なく、狂おしい奈落。

2026.01.11 永井 亮
女性一人称、ハード
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添田さんのマンションは大井町にあるという。職場の品川からは一駅。毎晩一番遅くまで残って、朝は誰よりも早く出社している彼のことだから、頷けた。私の住む王子からは京浜東北線で一本で行ける。だいたい三、四十分くらいの乗車時間だから、ドアツードアで一時間くらいの計算になる。
電車は、いつになく空いている。普段乗らない平日の昼過ぎの電車だけど、こんなに空いているのは、どこも新型ウィルス対策でリモートワークに切り替えているせいだろう。
座席に座って、寝たふりをする間、瞼の裏で、ムクムクと想像が膨らむ。どんな部屋に住んでいるんだろう。恋人は、いないんだろうか?普段話していて、女性の影は感じたことはないけど。だからといって、恋人がいない、とは言い切れない。
そもそも、彼はルックスもいいし、人当たりもいい大手商社マン。彼自身が望めばほとんどの女性は断らないだろう。もし玄関口で女物の靴や、あるいは洗面台で女性の化粧水なんかが目に入ったら、私は平静でいられるだろうか…。イヤイヤ、何考えているのよ。もしそうだとしても、私には関係ないこと。仕事よ、仕事。仕事をしにいくんだから。
傷つきたくなかった。だから、私はいつも期待をしない。多くを望まない。そういえば、男性の部屋に入ること自体、もう何年振りだろう。大学生の時に付き合っていた男の子の下宿を訪れたのが最後だっけ。いや、待て。何なら後にも先にもその一回きりじゃないか。
私だって、他の大半の女子と同じように、恋愛だってしたことはある。大学生の頃は、バイト先の本屋さんで一緒だった男の子と付き合ってもいた。その彼の部屋に、初めてお泊りしたあの夜が、今思えば決定的だった。私は初めてで、彼は他の女の子とも何度かしたことがあったらしい。
その男の子は、私が濡れていないのもお構いなしに挿入しようとするので、私は大声で泣いてしまった。今でも、あの夜の気まずい空気は、忘れない。結局、未遂に終わってしまった初夜は、再度挑戦されることもなく、私たちはそのまま、お別れになった。
どうしても男の子と深い関係になるのが怖くて、それ以来彼氏は一人もいない。友達には、その本屋のバイトの男の子との間で初体験を済ませたことにしていたが、女子同士の猥談の時には、話を合わせるのが大変だった。今もまだ処女だなどと、言いだせるわけもない。
社会人になってからは、男の人に、異性として見られること自体が、苦痛になってきた。女子高から女子大と進んだ私は、女性より男性が多い環境に慣れていなかった。職場にいるときはアレルギー性鼻炎だと言って、年中マスクをしている。
初めは少し不思議な顔をされたものだが、例の新型ウィルスの騒ぎが始まってからは、みんながマスクをするようになったので、私はいよいよ多勢に紛れることができるようになった。そんな私のあからさまなメンタルバリヤのせいか、声をかけてくれる男性はほとんどいない。そういうわけで、私の人生は、あの処女喪失未遂の体験に大きく方向づけられた、と言える。でもなんで今そんなことを思い出すんだろう。

気付けばもう添田さんから指定された住所まで着いてしまった。八階建ての単身者用のマンションの六階、角部屋。築十年くらいの外観。それが彼の住む家。呼び鈴を鳴らすと、すぐに彼が出てきた。ボタンダウンで襟の立った紺色のポロシャツに、ダークグレイのスラックス。在宅勤務とはいえ、きちんとした恰好をされている。
「いやぁ、ほんと悪いね。狭苦しいところだけど、さ、入って入って」
「……お邪魔します」
1DKの居室は、独身男性の部屋にしては、整頓されている。だが、よく見ると、大慌てで片付けたような跡が目についた。本棚に収まった文庫本のいくつかは、背表紙が逆向きだったりして、ついくすりとしてしまう。
仕事用のデスクは置いておらず、ダイニングテーブルに会社支給の小さなラップトップ一台が据えられている。
「普段家では仕事しないから、なんか色々調子狂っちゃって」
ラップトップは主に出張用に配布されているものだから、画面が小さい。別途モニタに接続しないと、本格的な作業にはとても耐えられそうもない。
「ごめん、小さいよね…。来週には情シスから各社員にモニターが配られるらしいんだけどね、それまで辛抱しなきゃ」
「いえ、問題ありません。それで、添田さん、お困りの点って……?」
毎日大量に流れてくる海外からの情報発信を、整理してフォルダに保管したりするのは私の仕事だった。添田さんは何か必要なものがあると私に声をかける。そういう分業だったので、彼がどこに何があるか分からないというのは、当然のことだ。
一つ一つ、これから在宅勤務中に必要になりそうなファイルの置き場所を、説明していく。テーブルを前にして横に並んで座っていると、膝や、腕が、少しだけ触れ合う。すると、はっとしたようにお互い身体を引くが、二人が覗き込んでいるのは小さなラップトップ。次第に、身体のほんの一部分が少し接触しているのが、常態化してくる。身体が、内側から熱くなっていくのを感じる。
マウスの上で手が重なったことなら、オフィスでこれまでも何回もあった。その度に手の平がじっとりと汗ばんで焦った。そんな時、胸が苦しくて、女子トイレに逃げこんで気持ちが鎮まるのを待っていたこともある。
「あの、お手洗い、お借りしても?」
「ああ、廊下に出て、左手だよ」
言ってから、はっと気づいた。ここは添田さんの自宅。いつもの「女子トイレ」なんてない。添田さんと同じものを使うことになるのだ…。トイレに入ると、気持ちが鎮まるどころか、鼓動はますます高まるばかり。便座に腰を下ろせば、それはあの人と間接的にではあれ、決して触れ合うはずのない部分が触れ合うことになる…。
緊張のせいか、もう腋の下の辺りにじっとりと汗が滲んで、白いブラウスに染みが浮かんでいる。どうしよう、もし、汗の変な匂いがしたら。
ああ、もう苦しい、やっぱり来ないほうがよかったかな…。

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